●皮膚の理解から髄の理解を促す「百字百回」の読書
江戸期には、『大学』などの文章を、大体、「百字百回」で読みました。当時、人間の理解は4段階になっていると言われていたからです。
まず皮膚の理解です。3、4回しか読まない間は「皮膚の理解」と呼ばれます。皮膚は短期間で生まれ変わりますから、短い命ということです。これを30回から40回読むと「肉の理解」に変わります。筋肉の細胞は生まれ変わるのに半年ほどかかりますから、半年の命ということです。そして、3番目・4番目が「骨の理解」「髄の理解」となっていきます。
「骨の髄まで」とよく言いますが、「髄の理解」にするためには何といっても百回は読まなければいけない。百回繰り返し読んでいくことによって頭の中に文章が入ります。入ってしまうと、忘れられないものとして通常いつでも取り出せるのです。
自分が何か少しうまくいかないことがあったり、困ったことがあったとき、教えがぱっと出てきます。「そうか。徳が足りなかったのだ。もっと励まなければ」と思い当たるのですが、頭の中にしっかりと入っていなければ、出てくる道理がありません。
そういう意味で、基本的に江戸の教育の基本は、「教える」教育ではなく、「学ぶ」教育でした。学ぶ側が、「何を習得できたか」を確かめながら次へ進んでいくことが基本にありました。
●「自ら欺くなきなり」を重ねて、自信を積み上げる
では、『大学』の次のもう1節、読んでみましょう。第二段第一節というところです。
「所謂其の意を誠にするとは、自ら欺く毋(な)きなり。」
これは大切なことを言っています。「自ら欺く」、すなわち、うそについての教えです。人間には知恵がありますから、どうしてもうそをつくことが習いとなります。ところが、そのうそは一体誰に一番効いているのか。他人に対してつくのがうそですが、効いてくるのは自分だということです。
時に数回つくうそ自体に害はありません。しかし、人間は年を重ねていきます。10年20年、30年、40年とうそをつき続けていると、やがて自分の中のもう一人の自分が「お前、うそつきだな。お前のようなうそつきは他にいないぞ」と言ってくる。つまり、自己不信に陥ってくるわけです。
自己不信の反対は「自ら信ずる」と書きます。これは、読みようによっては「自信」となります。要...