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DATE/ 2017.06.07

『倫理学の話』に学ぶ「倫理(道徳)」と「倫理学」の違い

倫理と道徳は基本的に同じ意味

 今年(2017年)3月、2018年度から義務教育における「道徳」が評価を伴う「特別の教科」に格上げされるというニュースが各メディアで流れました。その教科書に対する検定が今年はじめて行われたのですが、ある小学1年生向けの教科書に対する検定結果が話題となりました。

 その教科書では、物語にパン屋を登場させていたところ、「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切だとして、「パン屋」を「和菓子屋」に修正することが求められたのです。教科書の作成にあたって、各出版社は2015年に告示された指導要領が学年ごとに定める「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」など、 19~22の「内容項目」を網羅しなければなりません。最終的には、作成した8つの会社の教科書が、一部の記述を修正したうえで合格となりました。

 このように、表記が問題となった「道徳」ですが、そもそも「道徳」とはどのようなものなのでしょうか。『倫理学の話』(ナカニシヤ出版)の著者である関西大学文学部教授 品川哲彦氏は、同書において「道徳」と「倫理」を基本的に同じ意味で使っています。

「倫理(道徳)は、…周囲に同調する…装置としても働きます。一体化した集団のなかでは、倫理は誰にもわかる自明な常識だと宣言され、そのために、倫理を守る理由を問う問いは封じられ、それを問うものは集団から排除されます」と道徳の危うさが記されています。著書のタイトルになっている「倫理学」は、そうした道徳の行きすぎた側面を防ぐ、「いわば、倫理のなかに内包されている毒を防ぐ解毒剤」にあたるそうです。

倫理学とは何か

 では倫理学とは何でしょうか。先ほどとは別のページから引用します。

「倫理学とは、既存の倫理がいかに正しくみえようとも、その正しさへ向けられた疑念を受け止め、あらためて問い直す営みにほかなりません」

 このように、世間で「正しい」と思われていること、常識さえも疑うことから倫理学は出発します。さて、本書『倫理学の話』の帯には、「深いテーマをさらりと説いて、初心者も研究者も引き込まれる倫理学概論」と紹介されています。実際に読んでみると、初心者にはやや難解と思える部分が少なからずあると感じました。でも、じっくりと根気強く臨めば、すぐには理解できないにしても読み通すことは可能です。まさに今、道徳をめぐって迷走する日本において熟読する価値のある一冊だと思います。

「正解」がないからこそ可能性が開かれている

 倫理学には、プラトンやアリストテレス、カントやヘーゲルなど哲学の読み解きが欠かせません。なぜ哲学の読み解きが欠かせないのか。品川氏はその理由について、「倫理学は自分自身の深みをのぞきこみ、自分を自分にたいして明らかにしていく営みだということをわかっていただきたいからです」と書いています。

 倫理学の興味深い点は、倫理や道徳そのものと異なり、「正解」がないことです。こう続いていきます。

「私たち人間は倫理学のなかに、もう決まっていてそれを教え込まれて身につければすむだけの真理という意味での『正解』をもちません。倫理学は、善悪のいずれの方向においても人間は何をなしうるか未定の存在者であるという意味で、人間の可能性とともにあるのです」

 ここに「倫理」と「倫理学」の違いがよく表れています。「倫理」は、すごく俗っぽい言い方をすると、いわゆる「お説教」的なルールのこと。「倫理」には、たとえば「嘘をついてはいけない」とか、「いつも親切にするべきだ」とか、善悪を定める規範や価値が含まれています。一方の「倫理学」は、そうした「~すべき/すべきでない」といった「倫理」そのものについて考える学問なのです。

ゆっくりと自由に語る倫理学

 『倫理学の話』の帯に「深いテーマをさらりと説いて、初心者も研究者も引き込まれる倫理学概論」と紹介されているのですが、本書は全体に著者と編集者の初学者に対する配慮が満ちています。たとえば、次の注釈を読んでみてください。もしソクラテスが現代に甦ったらどうなるかという話がコント形式で書かれています。

ソクラテス:口より先にお尻の穴が出てきたって! ことばを慎みたまえ! 口はいやしくもロゴス(ことば)がそこから発する場所である。君は本気でそんな教えを信じているのか、それは秩序というロゴスというものを欠いたこの上なく倒錯した物の見方であるまいか。そんな教えを信奉しているとすると、たとえば、君は何かしようとするときにどうやって決めているのかね。
現代人:それは自分で考えて決めます。
ソクラテス:自分でというと、何も参照しないのかね。
現代人:それは参考することもあるでしょうが、結局は、自分で決めたからそれをするのです。
……

 といった問答が繰り広げられます。このような著者のユーモアと心配りが同書、そして倫理学への興味をより高めてくれます。もし少しでも本書に興味を持たれた方は、ぜひ「ゆっくりと自由に語る倫理学」(帯文)を堪能してください。

「倫理学」の実践トレーニング

 情報が溢れ、状況が高速で変化する現代社会においては、誰もが不安を抱えており、「~すべき/すべきでない」といった「倫理」、つまり、分かりやすい正解を手っ取り早く得ようとする傾向が強まります。そんなときこそ、最悪の失敗を招く前に、急ぎすぎずに少し立ち止まって、その「正解」といわれていることは本当に正しいのか、「倫理」を問う「倫理学」的な姿勢が必要とされます。その第一歩として、本文でも繰り返し説明した、「倫理」と「倫理学」の違いをきちんと理解することが重要です。

 実は、「倫理学」的な考え方をしようとしても、いつの間にか「倫理」的な考え方に陥ってしまうことが少なくありません。ぜひ、日常において、家族や会社の同僚や部下とコミュケーションをとるとき、自分が今、「倫理」的な発言をしようとしているのか、あるいは、「倫理学」的な発言をしようとしているのか、そして相手がどのように発言を受け取っているのか、たまに気にしてみてください。すこし意識するだけでも、「倫理学」の実践トレーニングになるはずです。

<参考文献>
『倫理学の話』(品川哲彦著、ナカニシヤ出版)
http://www.nakanishiya.co.jp/book/b209887.html

<関連サイト>
品川哲彦氏のホームページ
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~tsina/

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テンミニッツTV編集部
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