●危機感から生まれたOpenAI、紆余曲折を経て世界的な大ブームへ
―― いよいよ2015年に、Yコンビネーターの代表になって、翌年にイーロン・マスクらとOpenAIを設立です。
桑原 これはまた後ほど、詳しくご説明しますけれど、ちょうど2010年代に入って、AIの開発が非常に進んできました。その頃から、AIがチェスに勝ったとか、将棋とか碁と戦ったりと、分かりやすいところでAIがどんどん進化してきているという段階なのです。
ただ、AIが(何かやっているのか)まだ見えない状況で企業がそれをやっているということで、このままではいずれ暴走してしまうのではないかというような危機感がありました。これは危ないのではないかと思ったのが、テスラなどをやっているイーロン・マスクです。
サム・アルトマンも同じように、もう少し透明な状態で発展したほうがいいのではないかということを考えていました。その時に、サム・アルトマンの周りに、いわゆる「ペイパルマフィア」といわれる、イーロン・マスク、ピーター・ティール、リード・ホフマンといった、シリコンバレー、スタンフォードで育ってきたような人たちがいて、みんなで集まって作ったのがOpenAIです。
「Open」とついているように、AIは進化しなければいけないがそれは人間の役に立つものでなければいけないし、誰かが独占するものではいけないということで、あえて「Open」という名前を使っています。こういうものができたけれど、いきなりチャットができたわけではなくて、最初は何をやっていいか、方向性が見えませんでした。
AIの非常に優秀な人たちは集まっているのですけれど、なかなか結果が出ず困っているところに、2017年にトランスフォーマーに関する論文が発表されます。これは、言語の1つの文脈の中で、どれが大事な言葉なのかということに注目していこうという考え方で、それによって、一気にChatGPTに発展していくのです。
そのきっかけがあって、一気にAIが進んだことによって、今度はイーロン・マスクが当然のように、OpenAIはテスラの傘下に入ったほうがいいのではないかということを言い出しました。ただ、本来は1つの企業が独占するものではないということでスタートしたわけですから、それに対してイーロン・マスクとサム・アルトマンが非常に対立をするということで、イー...