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最先端科学から見る日本人の起源
近年、先端科学の進歩によって、これまで伏せられていたさまざまな社会や歴史の謎が解き明かされています。『核DNA解析でたどる 日本人の源流』(斎藤成也著、河出書房新社)によると、なんと日本人の源流をも解明しつつあるのだそうです。本書をもとにして、日本人の起源の最新情報をお伝えしてします。
著者の斎藤成也氏は国立遺伝研究所の教授で、総合研究大学院大学遺伝学専攻教授、東京大学生物科学専攻教授も兼任しています。さまざまな生物のゲノムを比較し、人類の進化の謎を探る一方で、縄文人など古代DNAの解析を進め、文系理系を横断して歴史と科学をつなぐような研究に取り組んでいます。主な著書に『日本列島人の歴史』(岩波ジュニア新書)、『歴誌主義宣言』(ウェッジ)、『ゲノム進化学入門』(共立出版)、『DNAから見た日本人』(ちくま新書)などがあります。
ヒトゲノム解明後、急速な技術革新によって、飛躍的な効率化と費用の大幅減が実現されました。かつては数億円の研究費を費やしていたところを数万円で、しかも1週間ほどでヒトゲノムの塩基配列を決定できるようになったのです。塩基配列は、遺伝情報をあらわします。アデニン (A) 、チミン (T)、グアニン (G) 、シトシン (C)という4種の塩基の並び順によってその性質は決まります。
こうした時代に後押しされて、斎藤氏の研究チームは縄文時代人のゲノム情報を決定することにはじめて成功し、2016年にその論文を発表しました。
出アフリカ後に祖先たちがどのように東ユーラシアに拡散していったのかはまだ不明な点が多く、はっきりしたことは言えません。ただし、アフリカから海岸線を東へ東へとずっと辿って東南アジアに到達したと思われるグループが日本人の起源を探る大きな鍵を握っているのではないかと斎藤氏は述べています。
さて、本題にもどります。ヤポネシアに人がやってきたのは4万年ほど前がいちばん最初だといわれています。日本史の通説では、縄文系と弥生系、2段階の渡来があったのではないかと言われています。このヤポネシア人の二段階の渡来、すなわち二重構造モデルについて、斎藤氏は科学的に見ても間違っていないのではないかと推定しています。二段階でやってきた渡来集団が重なるようにして混血することにより現代日本人が形成されたことから、二重構造と名付けられています。
斎藤氏の三段階渡来モデルのユニークポイントは、弥生系と呼ばれている新しい渡来民を2つに分けたことです。結果的に、東北に居住していた第一渡来民は古墳時代にほとんどが北海道に移り、その穴を埋めるようにして第二渡来民が東北に移ります。第三の渡来民は列島の中心を東へと勢力を伸ばしました。
沖縄には、12世紀ごろに始まるグスク時代に第二渡来人のゲノムを主に受け継いだヤマト人が列島から集団で多数移住し、江戸時代に第三渡来民も加わって、現在のオキナワ人が形成されました。ちなみに、ヤマト人とは、ヤポネシア(日本列島)の中央部を主な居住地とし、現在の日本人の大多数を占める集団のことです。その北部を主な居住地としたのがアイヌ人、南部を主な居住地としたのがオキナワ人です。
ヤマト人が同一の渡来集団ではないというのはちょっと衝撃です。日本人と一口に言ってもかなり多様な移動や分布があったことがよくわかりました。今後、研究が深まっていくとともに、歴史はどんどん塗り替えられていくはずです。日本列島人の源流を目指す旅はいったいどこへたどりつくのでしょうか。これからも目が離せません。
著者の斎藤成也氏は国立遺伝研究所の教授で、総合研究大学院大学遺伝学専攻教授、東京大学生物科学専攻教授も兼任しています。さまざまな生物のゲノムを比較し、人類の進化の謎を探る一方で、縄文人など古代DNAの解析を進め、文系理系を横断して歴史と科学をつなぐような研究に取り組んでいます。主な著書に『日本列島人の歴史』(岩波ジュニア新書)、『歴誌主義宣言』(ウェッジ)、『ゲノム進化学入門』(共立出版)、『DNAから見た日本人』(ちくま新書)などがあります。
ヒトゲノムの解明が革命を起こした
さて、ゲノムという言葉は聞いたことがあると思いますが、遺伝情報のことです。じつはヒトゲノムは2004年にほぼ解明されました。あまり知られていませんが、これは人類遺伝学にとって革命的な出来事でした。ヒトゲノム解明後、急速な技術革新によって、飛躍的な効率化と費用の大幅減が実現されました。かつては数億円の研究費を費やしていたところを数万円で、しかも1週間ほどでヒトゲノムの塩基配列を決定できるようになったのです。塩基配列は、遺伝情報をあらわします。アデニン (A) 、チミン (T)、グアニン (G) 、シトシン (C)という4種の塩基の並び順によってその性質は決まります。
こうした時代に後押しされて、斎藤氏の研究チームは縄文時代人のゲノム情報を決定することにはじめて成功し、2016年にその論文を発表しました。
そもそも人類の起源とは?
日本人の起源を考える前にそもそもヒトの起源がどうなっているのかも確認しておきましょう。現代人の進化を説明するモデルはおもに2つあります。ひとつは「アフリカ単一起源説」、もうひとつは「多地域進化説」です。要は起源がアフリカ単一か、あるいは複数あるのか、という議論です。もともと単一起源説が有力だったのですが、最近のゲノム配列の研究結果からみてもやはり単一起源説を定説としていいのではないかとされています。出アフリカ後に祖先たちがどのように東ユーラシアに拡散していったのかはまだ不明な点が多く、はっきりしたことは言えません。ただし、アフリカから海岸線を東へ東へとずっと辿って東南アジアに到達したと思われるグループが日本人の起源を探る大きな鍵を握っているのではないかと斎藤氏は述べています。
ヤポネシア人の二重構造モデル
斎藤氏の著書に『日本列島人の歴史』があります。「日本人」ではなく「日本列島人」としている点がポイントです。そもそも国号として「日本」が使われるのは7世紀のことで、そのため、「日本列島人」としているのですが、もっといえば、「日本」という名称を使うことにも慎重になるべきで、『核DNA解析でたどる 日本人の源流』では祖先たちがやってきた日本列島を「ヤポネシア」と呼んでいます。ラテン語で日本はヤポニア、それにミクロネシアやインドネシアのネシアをくっつけた造語です。「ネシア」(-nesia)とは「~の島々」の意味をあらわします。さて、本題にもどります。ヤポネシアに人がやってきたのは4万年ほど前がいちばん最初だといわれています。日本史の通説では、縄文系と弥生系、2段階の渡来があったのではないかと言われています。このヤポネシア人の二段階の渡来、すなわち二重構造モデルについて、斎藤氏は科学的に見ても間違っていないのではないかと推定しています。二段階でやってきた渡来集団が重なるようにして混血することにより現代日本人が形成されたことから、二重構造と名付けられています。
アイヌ人とヤマト人とオキナワ人
斎藤氏は、二重構造モデルに基づきながら、さらに独自の推測を試みています。それは三段階渡来モデルです。約4万年前から4400年前にかけて狩猟採集民族が渡来してくる第一段階、次に漁労を中心とする狩猟採集民なのかあるいは農耕民だったのかはっきりしませんが縄文後期の4400~3000年前ころの第二段階の渡来があり、さらに3000年~1700年前にかけて第三段階として第二波の渡来民と遺伝的に近縁の稲作農耕民が渡来してきたという説です。旧来のモデルに当てはめると、第一段階から第二段階にかけて縄文系、第二段階から第三段階にかけて弥生系がやってきたということになります。斎藤氏の三段階渡来モデルのユニークポイントは、弥生系と呼ばれている新しい渡来民を2つに分けたことです。結果的に、東北に居住していた第一渡来民は古墳時代にほとんどが北海道に移り、その穴を埋めるようにして第二渡来民が東北に移ります。第三の渡来民は列島の中心を東へと勢力を伸ばしました。
沖縄には、12世紀ごろに始まるグスク時代に第二渡来人のゲノムを主に受け継いだヤマト人が列島から集団で多数移住し、江戸時代に第三渡来民も加わって、現在のオキナワ人が形成されました。ちなみに、ヤマト人とは、ヤポネシア(日本列島)の中央部を主な居住地とし、現在の日本人の大多数を占める集団のことです。その北部を主な居住地としたのがアイヌ人、南部を主な居住地としたのがオキナワ人です。
ヤマト人が同一の渡来集団ではないというのはちょっと衝撃です。日本人と一口に言ってもかなり多様な移動や分布があったことがよくわかりました。今後、研究が深まっていくとともに、歴史はどんどん塗り替えられていくはずです。日本列島人の源流を目指す旅はいったいどこへたどりつくのでしょうか。これからも目が離せません。
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