社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
再評価されつつある「明智光秀」の人間像
明智光秀と言えばどんなイメージがあるでしょうか?よく言われている「稀代の反逆者」「三日天下のあわれな裏切り者」といったイメージとは少々違うことを連想する人もいるのではないでしょうか。静岡大学名誉教授の小和田哲男氏に、再評価されつつある明智光秀の人間像について伺いました。
では、家臣の中でも重用されていた光秀がなぜ「本能寺の変」を起こしたのでしょう。いくつかの仮説の中で、古くから言われているものに、信長のパワハラに対する「怨恨説」があります。司馬遼太郎の『国盗り物語』でも、そうした信長と光秀の間の心の溝が深まっていく様子が描かれていますが、小和田氏は怨恨だけであれだけの大事を起こすようなことはないだろう、と言います。同じく、光秀に天下取りの野望があったという説も、決定的な理由としては考えにくいでしょう。
さらには、将軍家や豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)、徳川家康などにそそのかされてという「黒幕説」、長宗我部元親との約束を信長が反故にしたことによる「四国問題説」など諸説があるのですが、小和田氏は複数の要因が積み重なって反旗を翻すにいたったのだろう、と見ています。
さまざまな面で、信長の非常識、非道ともいえる振る舞いに「待った」をかけるべきだと判断した。いずれにしても、熟慮に熟慮を重ねての「本能寺の変」だったのでしょう。
ですが、その光秀が近年、すぐれた為政者として再評価されつつあるのです。と言っても彼が単なる心優しい領主であったわけではありません。光秀は、天正7(1577)年に信長の命によって丹波攻めを行い、丹波の平定に成功しているのですが、実は皆殺しの戦いを繰り広げるなど、目的遂行のためにはかなり手厳しいこともしていたのです。比叡山延暦寺の焼き討ちもかなり積極的に関与した、という史料も残っています。しかし、いざ目標を達成すると、その後は領民を思い「撫民」ともいわれる良政を行い、「地子免除」といって税金を免除するなどということもしました。
やるべきことは非情と思われようとも徹底的にやり抜く。その後は思いやりをもって守るべき人たちのために心をくだく。その時々の状況を踏まえて適切に判断し実行するリーダー、このような人間像が今、新たな明智光秀の評価につながっているのです。
なぜ、光秀は「本能寺の変」を起こしたのか
明智光秀が武将としての実力に加え、豊かな教養といった面でも主君・織田信長に評価されていたことは、わりとよく知られていることです。信長が光秀の才を認めていた証拠に、光秀は坂本城という新しい城だけでなく、その周りの領地・滋賀郡も与えられたことが挙げられます。光秀は、多くの織田家家臣の中から年功序列とか門閥主義を飛び越えて、信長から単なる「城主」という名の城番としてではなく、辺り一帯を治める文字通りの「一国一城の主」として認められたのです。では、家臣の中でも重用されていた光秀がなぜ「本能寺の変」を起こしたのでしょう。いくつかの仮説の中で、古くから言われているものに、信長のパワハラに対する「怨恨説」があります。司馬遼太郎の『国盗り物語』でも、そうした信長と光秀の間の心の溝が深まっていく様子が描かれていますが、小和田氏は怨恨だけであれだけの大事を起こすようなことはないだろう、と言います。同じく、光秀に天下取りの野望があったという説も、決定的な理由としては考えにくいでしょう。
さらには、将軍家や豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)、徳川家康などにそそのかされてという「黒幕説」、長宗我部元親との約束を信長が反故にしたことによる「四国問題説」など諸説があるのですが、小和田氏は複数の要因が積み重なって反旗を翻すにいたったのだろう、と見ています。
さまざまな面で、信長の非常識、非道ともいえる振る舞いに「待った」をかけるべきだと判断した。いずれにしても、熟慮に熟慮を重ねての「本能寺の変」だったのでしょう。
非情と慈しみを併せ持った為政者として再評価
結果的には光秀は、本能寺の変の後、すぐに秀吉との戦いに敗れ、落ち武者狩りで命を落としてしまいます。以降、長らく光秀といえば、「反逆者」「裏切り者」の代名詞とされてきました。しかし、光秀の信長に対する反旗は、戦国時代に典型的な、いわば下剋上の一つととらえることもできます。その後、江戸時代に儒教的な武士道徳が浸透したがゆえに、主への忠誠をひっくり返した光秀が「極悪人」のレッテルを貼られたのだ、と小和田氏は分析しています。安泰な幕藩体制を望む江戸幕府にとって、光秀のような変革者は悪以外の何物でもなかったのでしょう。ですが、その光秀が近年、すぐれた為政者として再評価されつつあるのです。と言っても彼が単なる心優しい領主であったわけではありません。光秀は、天正7(1577)年に信長の命によって丹波攻めを行い、丹波の平定に成功しているのですが、実は皆殺しの戦いを繰り広げるなど、目的遂行のためにはかなり手厳しいこともしていたのです。比叡山延暦寺の焼き討ちもかなり積極的に関与した、という史料も残っています。しかし、いざ目標を達成すると、その後は領民を思い「撫民」ともいわれる良政を行い、「地子免除」といって税金を免除するなどということもしました。
やるべきことは非情と思われようとも徹底的にやり抜く。その後は思いやりをもって守るべき人たちのために心をくだく。その時々の状況を踏まえて適切に判断し実行するリーダー、このような人間像が今、新たな明智光秀の評価につながっているのです。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
雑学から一段上の「大人の教養」はいかがですか?
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。
『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
熟睡できる習慣や環境は?西野精治先生に学ぶ眠りの本質
編集部ラジオ2025(30)西野精治先生に学ぶ「熟睡の習慣」
テンミニッツ・アカデミーで、様々な角度から「睡眠」についてお話しいただいている西野精治先生(スタンフォード大学医学部精神科教授)に「熟睡できる環境・習慣とは」というテーマで具体的な方法論をお話しいただいた講義を...
収録日:2025/10/17
追加日:2025/12/11
平和の実現を哲学的に追求する…どんな平和でもいいのか?
平和の追求~哲学者たちの構想(1)強力な世界政府?ホッブズの思想
平和は、いかにすれば実現できるのか――古今東西さまざまに議論されてきた。リアリズム、強力な世界政府、国家連合・連邦制、国連主義……。さまざまな構想が生み出されてきたが、ここで考えなければならないのは「平和」だけで良...
収録日:2025/08/02
追加日:2025/12/08
PDCAサイクルを回すための5つのプロセスとそのすすめ方
プロジェクトマネジメントの基本(3)プロジェクトのすすめ方
プロジェクトを進める際にPDCAサイクルの概念は欠かせない。国際標準PMBOKでは、PDCAを応用した「立上げ」「計画」「実行」「監視コントロール」「終結」の5段階をプロジェクトに有用とし、複数フェーズでそれを回す。ステーク...
収録日:2025/09/10
追加日:2025/12/10
熟睡のために――自分にあった「理想的睡眠」の見つけ方
熟睡できる環境・習慣とは(1)熟睡のための条件と認知行動療法
「熟睡とは健康な睡眠」だと西野氏はいうが、健康な睡眠のためには具体的にどうすればいいのか。睡眠とは壊れやすいもので、睡眠に影響を与える環境要因、内面的要因、身体的要因など、さまざまな要因を取り除いていくことが大...
収録日:2025/03/05
追加日:2025/11/23
葛飾北斎と応為…画狂の親娘はいかに傑作へと進化したか
葛飾北斎と応為~その生涯と作品(1)北斎の画狂人生と名作への進化
浮世絵を中心に日本画においてさまざまな絵画表現の礎を築いた葛飾北斎。『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」が特に有名だが、それを描いた70代に至るまでの変遷が実に興味深い。北斎とその娘・応為の作品そして彼らの生涯を深...
収録日:2025/10/29
追加日:2025/12/05


