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DATE/ 2023.11.02

『校閲至極』――驚くべき校閲記者の仕事とことばの奥深さ

『校閲至極』は、「サンデー毎日」での人気連載コラム「校閲至極」の5年間におよぶ244回の連載の中から、74編を厳選して書籍化した一冊です。

 本書の最大の魅力は、執筆者にあります。なんと、記者や作家といったいわゆる文筆家ではなく、毎日新聞校閲センターで校閲を携わっている、21人の校閲記者が執筆者です。本来なら記事やコラムを書くことのない校閲記者が、「校閲」の視点にたって執筆している点が、本書の読み所といえます。

「新聞社の門番」毎日新聞校閲センターの校閲記者

 毎日新聞校閲センターは、2023年現在、東京本社に東京グループ、大阪本社に大阪グループと分かれています。ルーキーからベテランまでの数十人のバラエティに富んだ校閲記者が在籍し、原則として広告などを除く全紙面の新聞校閲作業を、日々分担して行っています。

 校閲記者は、新聞記者のように書くことを専門とした記者ではありません。しかし、新聞の紙面に印刷される、記事・論説・コラムといった多様な原稿を深く読み込み、日本語として正しい使い方をしているか、事実誤認や不備はないか、不適切な表現になっていないかなどを確認・調査・検討したうえで、必要に応じて文章を訂正したり校正したりします。

 つまり、校閲記者は執筆者とは違った「ことばのプロ」であり、「新聞社の門番」ともいえる存在です。

校閲スルーを校閲する校閲記者

 本書は、「校閲」ということばを一般に広めた功労者ともいえる、2016年秋に日本テレビ系で放映されたドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」の主人公・河野悦子が、2017年のスペシャルドラマで「鐘乳洞」をスルーしたことを校閲する「『校閲ガール』河野悦子よ、なぜスルー」コラムから始まります。

 皆さんは河野悦子がどんな校閲スルーをしたかに気づいたでしょうか。正しくは「鍾乳洞」で、金偏に対する旁(つくり)が「童」でではなく「重」です。

 また、「高校野球の記事、三つの『アウト』」では、「檄を飛ばす」「喝を入れる」「吹奏学部」を、アウトとして取り上げています。

 スリーアウトの概要は、(ワンアウト)「激励」の意味で「檄を飛ばす」を使うことを望ましくないとして「奮起を促す」などへ書き換える、(ツーアウト)「喝を入れる」は「活を入れる」が正しい表記であるため「選手を鼓舞した」などとする、(スリーアウト)「吹奏学部」は「吹奏楽部」の誤り――です。

校閲の対象は無限、普遍性へとつながる「ことばと向き合う仕事」

 さらに校閲記者たちは、例えば品川駅(東京都港区)、厚木駅(神奈川県海老名市)、四条畷駅(大阪市大東市)などのように、駅名に自治体名を使っていても所在地がその駅名と異なる自治体になっている駅などのねじれを確認し、「ハロウィーン」か「ハロウィン」かで表記が分かれる外来語の表記を統一し(ちなみに、外来語の表記の原則は、すでに定着した表記でなければ、なるべく原音に近いカタカナで書く)、固有名詞に細心の注意を払いながらあらゆる原典や参照資料にあたります。

 他にも、記事中の本文と写真を校閲して「芸舞妓たち」の表記を「舞妓たち」に訂正したり、「冷凍カツは約60万枚で約730トン」の表記を計算のうえ常識と突き合わせて「73トン」の誤りだったことを明らかにし訂正したりするなど、校閲の対象は文字だけにとどまりません。

 本書に収められた74編のコラムのテーマや内容は、新聞記事の校閲記者の日々の具体的な業務内容にふさわしく、多分野かつ多層的です。しかし、どれだけ異なる分野やテーマを扱っていても、真摯かつ丁寧にことばと向き合う姿勢が根底にあるため、どの1編からもことばや文章と向き合う際の普遍性を感じられるのです。

 ということで、『校閲至極』は、校閲に関心がある人はもちろんのこと、直接校閲に興味はなくともことばや文章に関することに興味や関心がある人であれば、きっと楽しんでいただける一冊だと思います。しかも、読者一人ひとりに応じた、新たなことばとの出会い、発見のきっかけとなること必至です。

<参考文献>
『校閲至極』(毎日新聞校閲センター著、毎日新聞出版)
https://mainichibooks.com/books/essay/post-635.html

<参考サイト>
「毎日ことばplus」(毎日新聞校閲センターが運営するサイト)
https://salon.mainichi-kotoba.jp/
毎日新聞校閲センターのツイッター(現X)
https://twitter.com/mainichi_kotoba?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
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