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DATE/ 2023.12.12

『謝罪論』で学ぶ「謝罪」の難しさと奥深さ

「すみません」「ごめんなさい」「申し訳ありません」「心よりお詫び申し上げます」――これらは日本語で一般的に使われている謝罪の言葉です。軽いミスから深刻な過ちに至るまで、私たちはさまざまな状況で謝ります。時には、自分が悪いと思っていない場合でも、形式的に謝罪の言葉を口にすることがあります。

 このように、謝罪という行為は私たちの日常に深く根ざしています。ですが、その真の意味を問おうとすると、途端に謎に包まれたものに思えてきます。「謝る」とは一体何をすることなのでしょうか。もし「すみませんでは済まない」と言われたとき、何をすれば謝ったことになるのでしょうか。

 今回ご紹介する『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』(古田徹也著、柏書房)は、「謝罪」について多角的に分析し、その意義と本質を探求しています。主に言語哲学の議論に依拠しつつ、時に倫理学、政治学、哲学、法学などの知見も幅広く参照し、身近で不思議な「謝罪」という概念に迫っています。そうすることで、「謝罪」について理解を深め、その場しのぎの謝罪がまん延するこの社会を見直すための手がかりを提供しようとしています。

「すみません」では済まないなら、一体どうすれば?

 本書の著者である古田徹也先生は、1979年生まれの熊本県出身で、東京大学文学部を卒業し、同大学院人文社会系研究科で博士号を取得しました。現在は東京大学大学院人文社会系研究科准教授として活躍されています。専攻は哲学・倫理学で、特に「言語」や「行為」といった概念に関する研究に注力しています。

「生命ある言葉」とは何かを探求した『言葉の魂の哲学』(講談社選書メチエ)では第41回サントリー学芸賞を受賞しており、その他にも『それは私がしたことなのか』(新曜社)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(KADOKAWA)、『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)、『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)、『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)、『このゲームにはゴールがない』(筑摩書房)など、多数の著書があります。

 本書は、「謝ることを、子どもにどう教える?」というプロローグから始まります。小さな子どもに「謝る」ことを教える場面を想像してみましょう。悪いことをしたときは「ごめんなさい」と言うんだよ、とあなたは子どもに言うかもしれません。ほとんどの人は子どもに対する教育としてそのようにするでしょう。

 ですが、「すみません」と言うだけでよいのでしょうか。声や態度だけでなく、心から申し訳なく思っているという気持ちや、責任を感じているということが相手に伝わってはじめて謝罪したことになるのではないでしょうか。いや、心で思っているだけでは足りなくて、謝罪にはそれ以上のものが必要かもしれない……。このように考えていくと、大人にとっても「謝罪」というものが確固とした輪郭を持つものではなく、曖昧な存在に思えてきます。

 試しに辞書を引いてみても解決にはなりません。この謎を追求するために、本書はさまざまな学問知に依拠して議論を進めていきます。といっても、抽象的な学問論に終始するのではなく、日常生活の中での具体的な実践という側面にも配慮されています。

 たとえば、日常生活における具体的な謝罪の場面として「花瓶事例」が取り上げられています。上司の家に招かれた際、テーブルの上の花瓶を誤って落として割ってしまった場合、あなたならどうしますか?もちろん謝罪すべきですが、「すみません」と声を出すだけで十分な謝罪と言えるでしょうか。

 また、身近に起こりうることとして、電車の中で人の足を踏んでしまった場合なども考察されています。他にも、日常的な場面とは言えませんが、「強盗事例」も登場します。強盗を行った加害者が逮捕され、裁判中に起訴事実を認め、被害者に「申し訳ありませんでした」と謝罪するケースです。このように、具体的な事例にもとづいて議論を進めていくことで、抽象的な議論が得意ではない読者にも理解しやすくなっています。

どうして「謝罪」について考えるのか――本書の議論の意義

 そもそも、なぜ「謝罪」について考えるのでしょうか。古田先生は二つの意義を挙げています。

 まずは、私たちが実際に何をしているのかを理解するという点です。私たちは、自分自身のことを必ずしもよく理解しているわけではありません。「謝る」という単純なことでも、それが本当はどのようなことか、よく理解しているわけではないのです。本書は「謝罪」について考えることを通じて、私たちの生活や社会について、そして自分自身についてより深い理解を得ようとする実践なのです。

 もうひとつは、私たちは必ずしも適切に謝罪できているわけではないという点です。ニュースを見ても、よく不適切な謝罪会見が取り上げられていたりします。自分ではちゃんと謝ったつもりでも、相手はそう受け取っていない。そのような謝罪の失敗を起こさないためにも、謝罪について理解を深めることは有益なのです。

 とはいえ、「謝罪とはこういうものだ!」と明確に言い切れすものではなく、実はとらえどころのないものだというのです。本書はその「謝罪」というものがもつとらえどころのなさ、明確な概念規定を拒む傾向について論じています。第3章ではさまざまな学者による「謝罪」の定義づけが紹介されますが、いずれも限界があるとされています。

 そこで、本書が「謝罪」の輪郭をつかむために用いるのが、哲学者ウィトゲンシュタインによる「家族的類似性」の概念です。これは、共通の本質的な要素なしに全体として一個のまとまりを構成するような類似性の連関を指し示すものです。謝罪論に関していえば、「謝罪」とひとくくりにされるさまざまな行為がもつ多様な側面を明らかにしていくことで、それらの行為がもつ「家族的類似性」を見いだし、それぞれの行為が緩やかに結びつく概念として「謝罪」の全体像を浮かび上がらせる、ということになります。本書はこのような戦略で問題にアプローチしています。

「マニュアル」に頼り切らない、実践知としての謝罪論

 もし本書に「すぐに役立つ!上手な謝罪マニュアル」のような内容を期待している人は、歯切れの悪さを感じるかもしれません。実践的なハウツー本としての役割は期待できないからです。

 よって、本書は「すぐに役立つ!上手な謝罪マニュアル」のような内容に迫ったものではなく、「謝罪という行為の複雑さや難しさ」に誠実に向き合ったものだといえます。それは次のような記述からもうかがえるはずです。

「現実には、マニュアルに当てはまらない状況や、マニュアルがかえって障害となるような状況が、いくらでも存在する。……むしろ、最も重要なのは、マニュアルでは対処しきれない現実の難しさに対して、骨折ることを厭わずに向き合ってよく考えることだ」(本書279-280ページより)

「謝罪」を考えるには、個別具体的なケースに即して考えていくことが重要であり、そうした実践の積み重ねの先にようやく実体が見えてくるものなのです。

 とはいえ、読者としては上手に謝罪するための方法は気になるところです。そのような人のために、エピローグで「実践的なヒント」が用意されています。これは本書全体の分析を通じて得られたものであり、「定型的な表現に頼り切らない」「謝罪の理由として自分が何を言っているのかに気を配る」「できる限り迅速に行う」といったヒントが9つほど紹介されています。これを読めば、今後もし謝罪するような状況になったとき、参考になるでしょう。

 本書は、「謝罪」について誠実に向き合うことで、私たち読者に「徹底的に考えるとはどのようなことか」を教えてくれます。「いわれてみればよく分からない」という地点で思考停止せずに、粘り強くその姿を捉えようとした思考の軌跡です。ぜひ書店で手にとって、「謝罪」に関する問題を追思考してみてください。

<参考文献>
『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』(古田徹也著、柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155330

<参考サイト>
古田徹也先生のサイト
https://sites.google.com/site/frt8050/
古田徹也先生のツイッター(現X)
https://twitter.com/FURUTA_Tetsuya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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