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『意識の脳科学』から見える「デジタル不老不死」の未来
もし何でも願いがかなうなら、あなたは何を願いますか。億万長者になることや不老不死の体を手に入れることを願うという方も少なくないのではないでしょうか。今回はその中でも、不老不死について考えてみましょう。
不老不死になる方法は大きく分けて二つ考えられます。生身の肉体のままで不老不死を実現する方法と、それ以外の方法です。生身の肉体のまま不老不死(正確には不老長寿)を目指す研究の代表例として、ハーバード大学のデビッド・A・シンクレア教授の研究があります。シンクレア教授の研究は、老化の原因を探求し、細胞レベルでそれを遅らせることを目指すもので、近年注目を集めています。
一方、生身の肉体を捨てて不老不死を目指す方法もあります。それは、意識を脳からコンピュータに移し、バーチャル空間で新たな生活を始めるというものです。これこそが、今回ご紹介する『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』(渡辺正峰著、講談社現代新書)が目指す「デジタル不老不死」です。
「意識のアップロード」と聞くと、ほとんどSFの世界のように感じられますよね。なぜ渡辺氏はそんな研究を始めたのでしょうか。その動機は、死への恐怖にあります。本書の第1章「死は怖くないか」で渡辺氏は問いかけます。「死は怖くないですか? 今、この記事を読み、思考を巡らせているあなたが、金輪際いなくなってしまうことに根源的な恐怖を覚えませんか?」と。死を恐れるからこそ、不老不死を目指すのは当然の成り行きかもしれません。
本書は、意識を脳から機械にアップロードするという、サイエンス・フィクション(SF)のようなテーマを、真正面からサイエンス(科学)で扱った一冊になっています。
この方法には大きく二つの問題があります。まず、脳の3次元配線構造を高い精度で正確に読み取ることは極めて難しいということ。そして、何より致命的な問題として、デジタルに復元されるのはあくまで故人の脳であり、オリジナルは死んでしまうということです。
意識の連続性を保ったままでいるには、生きているうちに意識をアップロードするしかありません。そして、それこそが渡辺氏が提唱する方法なのです。
具体的にはどうするのでしょうか。渡辺氏が提唱する方法は、脳を右脳と左脳に分け、それぞれを機械とつなぐというものです。実際に、脳梁(のうりょう)が切断された分離脳の患者では、一つの意識が分割され、左右それぞれに意識が分かれることがわかっています。また、事故や病気で片側の脳半球を失った場合でも、両半球にまたがっていた意識は残った片方の脳半球にシームレスに移行することが確認されています。
こうした事実に着目し、渡辺氏は左右の脳をそれぞれ一度機械とつなぐことを考案しました。この方法によれば、生体脳半球が活動を停止すると、接続された機械に意識が移行するはずです。そして最後に、意識が移行された二つの機械を接合すれば、一つの意識に元通り統合されると考えられます。
そのため、現実的に考えられる方法は侵襲的なアプローチ、つまり頭蓋に穴を開けて脳に直接電極を埋め込み、情報を読み書きするという方法です。まさに「攻殻機動隊」や「マトリックス」のような世界ですが、侵襲脳計測の進展は目覚ましく、実はすでに基礎研究の段階を超えて、一部の医療分野での応用が進んでいます。パーキンソン病の治療における脳深部刺激療法(DBS)などがその例です。
とはいえ、脳に直接情報を書き込むことには多くの困難が伴います。通常の電極を使用した場合、狙ったニューロンを活動させようとしても、遠くにある無数のニューロンも同時に活動してしまい、正確に情報を書き込むことができないことがわかっています。
こうした難点を解決し、高精細な情報の書き込みを可能にするのが、渡辺氏が提案する新型のブレイン・マシン・インターフェースです。この装置は、左右の脳をつなぐ脳梁、前交連、後交連という三つの神経線維束に対して、碁盤の目状に非常に細かく電極を並べた「高密度2次元電極アレイ」を差し込むというものです。
この装置は、スマホのカメラなどに使われている現在もっとも集積度の高いCMOSセンサーの技術を活用したものです。本書が執筆された時点では、このセンサーのピクセル間隔は700ナノメートルで、これをあと少し狭めることができれば、狙ったニューロンから信号を読み取ることが技術的に可能になるといいます。映画やアニメで描かれたSFの世界は、もはや理論の問題ではなく、実現のためにお金と人手が問題となる段階にまで来ているのです。
さらに、本書は科学的な視点だけでなく、哲学的な問題にも触れられています。たとえば、機械にアップロードされた意識が果たして元の「わたし」と同一の意識なのか、といった問題です。
渡辺氏の研究は、人工意識の開発を通じて意識の謎に迫るものでもあります。科学と哲学が交錯するこの領域で、渡辺氏の研究が示す未来は非常に興味深いものとなっています。本書を通じて、その一端を垣間見ることができるでしょう。ぜひ書店で手に取っていただきたい一冊です。
不老不死になる方法は大きく分けて二つ考えられます。生身の肉体のままで不老不死を実現する方法と、それ以外の方法です。生身の肉体のまま不老不死(正確には不老長寿)を目指す研究の代表例として、ハーバード大学のデビッド・A・シンクレア教授の研究があります。シンクレア教授の研究は、老化の原因を探求し、細胞レベルでそれを遅らせることを目指すもので、近年注目を集めています。
一方、生身の肉体を捨てて不老不死を目指す方法もあります。それは、意識を脳からコンピュータに移し、バーチャル空間で新たな生活を始めるというものです。これこそが、今回ご紹介する『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』(渡辺正峰著、講談社現代新書)が目指す「デジタル不老不死」です。
死を恐れる科学者、意識のアップロードに永遠の命の夢を見る
『意識の脳科学』の著者である渡辺正峰氏は、東京大学で准教授を務める神経科学者。専門テーマは意識の神経メカニズムの解明で、そのために脳の情報を機械にアップロードする方法を真剣に研究しています。著書に『From Biological to Artificial Consciousness』(Springer)、『脳の意識 機械の意識』(中公新書)などがあります。「意識のアップロード」と聞くと、ほとんどSFの世界のように感じられますよね。なぜ渡辺氏はそんな研究を始めたのでしょうか。その動機は、死への恐怖にあります。本書の第1章「死は怖くないか」で渡辺氏は問いかけます。「死は怖くないですか? 今、この記事を読み、思考を巡らせているあなたが、金輪際いなくなってしまうことに根源的な恐怖を覚えませんか?」と。死を恐れるからこそ、不老不死を目指すのは当然の成り行きかもしれません。
本書は、意識を脳から機械にアップロードするという、サイエンス・フィクション(SF)のようなテーマを、真正面からサイエンス(科学)で扱った一冊になっています。
死なずに意識をアップロードするたった一つの方法
もちろん、これまでにも意識のアップロードについて、さまざまな手法が提案されてきました。しかし、それらは現実的な方法とはいえませんでした。たとえば、まず脳を取り出して薄くスライスし、それを電子顕微鏡で読み取り、脳の3次元配線構造を抽出し、最後にそのデータを用いて脳のデジタルコピーを構築するといった方法です。この方法には大きく二つの問題があります。まず、脳の3次元配線構造を高い精度で正確に読み取ることは極めて難しいということ。そして、何より致命的な問題として、デジタルに復元されるのはあくまで故人の脳であり、オリジナルは死んでしまうということです。
意識の連続性を保ったままでいるには、生きているうちに意識をアップロードするしかありません。そして、それこそが渡辺氏が提唱する方法なのです。
具体的にはどうするのでしょうか。渡辺氏が提唱する方法は、脳を右脳と左脳に分け、それぞれを機械とつなぐというものです。実際に、脳梁(のうりょう)が切断された分離脳の患者では、一つの意識が分割され、左右それぞれに意識が分かれることがわかっています。また、事故や病気で片側の脳半球を失った場合でも、両半球にまたがっていた意識は残った片方の脳半球にシームレスに移行することが確認されています。
こうした事実に着目し、渡辺氏は左右の脳をそれぞれ一度機械とつなぐことを考案しました。この方法によれば、生体脳半球が活動を停止すると、接続された機械に意識が移行するはずです。そして最後に、意識が移行された二つの機械を接合すれば、一つの意識に元通り統合されると考えられます。
「マトリックス」の世界が現実に!? 新型ブレイン・マシン・インターフェース
「脳を左右に分割する」と聞くと、なんとも恐ろしい話だと感じられますよね。もっと手軽に、例えばヘルメットのような装置をかぶって脳の情報を読み取ることはできないだろうかと思われるかもしれません。このような装置は非侵襲ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)と呼ばれるものですが、脳の中で行われている膨大な情報処理を、頭蓋骨を隔てて読み取ることはほとんど不可能だと考えられています。そのため、現実的に考えられる方法は侵襲的なアプローチ、つまり頭蓋に穴を開けて脳に直接電極を埋め込み、情報を読み書きするという方法です。まさに「攻殻機動隊」や「マトリックス」のような世界ですが、侵襲脳計測の進展は目覚ましく、実はすでに基礎研究の段階を超えて、一部の医療分野での応用が進んでいます。パーキンソン病の治療における脳深部刺激療法(DBS)などがその例です。
とはいえ、脳に直接情報を書き込むことには多くの困難が伴います。通常の電極を使用した場合、狙ったニューロンを活動させようとしても、遠くにある無数のニューロンも同時に活動してしまい、正確に情報を書き込むことができないことがわかっています。
こうした難点を解決し、高精細な情報の書き込みを可能にするのが、渡辺氏が提案する新型のブレイン・マシン・インターフェースです。この装置は、左右の脳をつなぐ脳梁、前交連、後交連という三つの神経線維束に対して、碁盤の目状に非常に細かく電極を並べた「高密度2次元電極アレイ」を差し込むというものです。
この装置は、スマホのカメラなどに使われている現在もっとも集積度の高いCMOSセンサーの技術を活用したものです。本書が執筆された時点では、このセンサーのピクセル間隔は700ナノメートルで、これをあと少し狭めることができれば、狙ったニューロンから信号を読み取ることが技術的に可能になるといいます。映画やアニメで描かれたSFの世界は、もはや理論の問題ではなく、実現のためにお金と人手が問題となる段階にまで来ているのです。
デジタル不老不死はすぐそこの未来に
これまでご紹介してきた内容は、本書のほんの一部にすぎません。本書では、たとえばアメリカや中国を中心とした研究開発動向についても紹介されています。他にも、「AIに意識は宿るか」といった、今もっともホットともいえるテーマも扱われています。さらに、本書は科学的な視点だけでなく、哲学的な問題にも触れられています。たとえば、機械にアップロードされた意識が果たして元の「わたし」と同一の意識なのか、といった問題です。
渡辺氏の研究は、人工意識の開発を通じて意識の謎に迫るものでもあります。科学と哲学が交錯するこの領域で、渡辺氏の研究が示す未来は非常に興味深いものとなっています。本書を通じて、その一端を垣間見ることができるでしょう。ぜひ書店で手に取っていただきたい一冊です。
<参考文献>
『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』(渡辺正峰著、講談社現代新書)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000393864
<参考サイト>
渡辺正峰氏の研究室(渡辺研究室)のWebサイト
https://sites.google.com/view/watanabe-lab-/
渡辺正峰氏のX(旧Twitter)
https://x.com/watanabemasata
『意識の脳科学 「デジタル不老不死」の扉を開く』(渡辺正峰著、講談社現代新書)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000393864
<参考サイト>
渡辺正峰氏の研究室(渡辺研究室)のWebサイト
https://sites.google.com/view/watanabe-lab-/
渡辺正峰氏のX(旧Twitter)
https://x.com/watanabemasata
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