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『スマホ時代の哲学』を持って哲学の冒険に出よう
人は人生のどこかで立ち止まることがあります。たとえば「自分は誰にも理解されていなんじゃないか」、「私の人生はなんだったんだろうか」などといったことを考えて行き詰まり、動けなくなることがあるかもしれません。こんなとき、支えになるのが哲学です。
そこで今回取り上げる書籍は『スマホ時代の哲学』(谷川嘉浩著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)です。本書は哲学を体系だって解説するものではなく、哲学者の言葉を元にしながら、その言葉がいまこの現実にどのように関係しているか、という視点で展開します。また、具体例として実際の表現作品や現実の場面を取り出されるので、たいへんイメージがしやすくなっています。
筆者の谷川嘉浩氏は1990年京都市の生まれの哲学者です。京都大学大学院、人間・環境学研究科博士後期課程を修了後、現在は京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。哲学に限らずメディア論や社会学といった他分野の研究、企業との協働などさまざまな活動をしています。他の著書としては『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)や『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる ―答えを急がず立ち止まる力』(共著・さくら舎)などがあります。
この皮肉的な言葉が言わんとするところは、「私たちが疑うべきなのは誰かの常識ではなく、何よりもまず自分の常識だ」ということです。本書ではこのことをゾンビ映画に喩えて解説します。「俺は絶対死なねぇ」「お前らみたいなやつが集団を危機にさらすんだ」「キャンプはこっちの方が安全に決まっている」と言うモブキャラが「愚か者」です(ここに谷川氏は自分を重ねます)。
谷川氏は「世界や他者への関心を失ったり、自分の考えや判断への批判精神を忘れたりしたとき、私たちは、ゾンビ映画で早々に退場していく人みたいな愚かさを生きている」と言います。つまり、自分がすぐに出せる判断や考えの中に「答え」や「解決」を見つけるのではなく、そのようにしそうになる「自分を疑う」ことが大切だということです。
ただし哲学者が同じ言葉を使っているからと、ある哲学者のノリを別の哲学者に持ち込むとバグが生まれます。例えば、プラトンの「イデア」とデカルトの「観念」は、英語ではどちらも“idea”ですが、しかし言わんとすることは全く違います。ただし、この違いをそれぞれの哲学書を一読して明確に理解することは簡単ではありません。まずはガイドの手を借りましょう。
日本語で読める入門書や解説書にはさまざまなものがあります。こういった入門書を手がかりにして、その哲学者の思考システムが大体どんな感じなのかを、ざっくりと把握することは難しくありません。ここまでが本書第2章までの大枠です。
スマホによる常時接続の世界で失われたものは「孤立」と「孤独」です。ここでの「孤立」は注意を分散させず、一つのことに集中する力に関係するもの、「孤独」は自分自身と対話する力に関わるものです。またこの「孤独」についてアーレントは「沈黙のうちに自らとともにあるという存在のあり方」だと説明します。もう少しわかりやすく言い換えると、「孤独」なときの私たちは「心静かに自分自身と対話するように『思考』している」ということです。
この「孤独」について、谷川氏は特に「喪」の作業を進める上での重要性について触れます。「喪」という孤独が必要な理由は、「今の自分を維持できないほどの大きな衝撃を受けた人は、そこから何らかの問いや謎を汲み上げて、生活を新しく意味づけ直すことで、目を背けたい出来事や関係性と折り合いをつけ、和解する必要がある」からだといいます。
また、この「喪」の作業と孤独といった主題が扱われている作品として「ドライブ・マイ・カー」(2021年)が取り上げられています。主人公である家福は大きな喪失体験をします。この家福の「僕は、正しく傷つくべきだった」という言葉が出される場面について取り上げ、これも広い意味での「喪の作業」の必要性を指摘するものとして理解できると示されます。
本書は現代を生きる私たちに寄り添う哲学の入門書ともいえます。しかし、もちろん本書の思考や言葉は、古代ギリシャから現代まで長い時間をかけて哲学者が培ってきた、深い思索や想像力に根差しています。この意味で、本書は常時接続の時代に悩んでいる私たちを、古代から連綿と続く哲学の入り口に立たせてくれる本です。
あとがきで谷川氏は、本書を読むことは「私の抱く疑問に参加し、一緒に考えてみる」ことだったと言います。「一緒に考えてみる」というのは、哲学という「未知の大地」への冒険でもあります。いったいどんな冒険が始まるのか。本書を開いて、冒険のあとに見えてくる風景をぜひ体験してみてください。
そこで今回取り上げる書籍は『スマホ時代の哲学』(谷川嘉浩著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)です。本書は哲学を体系だって解説するものではなく、哲学者の言葉を元にしながら、その言葉がいまこの現実にどのように関係しているか、という視点で展開します。また、具体例として実際の表現作品や現実の場面を取り出されるので、たいへんイメージがしやすくなっています。
筆者の谷川嘉浩氏は1990年京都市の生まれの哲学者です。京都大学大学院、人間・環境学研究科博士後期課程を修了後、現在は京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。哲学に限らずメディア論や社会学といった他分野の研究、企業との協働などさまざまな活動をしています。他の著書としては『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)や『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる ―答えを急がず立ち止まる力』(共著・さくら舎)などがあります。
まずは「迷い取り乱している自分」を認識すること
序盤では、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの言葉「愚か者は、自らを疑うことをしない。自分を分別豊かな人間だと思っている。己の愚かさに居直っているので、羨ましいほど落ち着き払っている」が引用されます。ここでの「愚か者」は私たち現代人のことです。この皮肉的な言葉が言わんとするところは、「私たちが疑うべきなのは誰かの常識ではなく、何よりもまず自分の常識だ」ということです。本書ではこのことをゾンビ映画に喩えて解説します。「俺は絶対死なねぇ」「お前らみたいなやつが集団を危機にさらすんだ」「キャンプはこっちの方が安全に決まっている」と言うモブキャラが「愚か者」です(ここに谷川氏は自分を重ねます)。
谷川氏は「世界や他者への関心を失ったり、自分の考えや判断への批判精神を忘れたりしたとき、私たちは、ゾンビ映画で早々に退場していく人みたいな愚かさを生きている」と言います。つまり、自分がすぐに出せる判断や考えの中に「答え」や「解決」を見つけるのではなく、そのようにしそうになる「自分を疑う」ことが大切だということです。
哲学の言葉を学ぶときに大事なポイント
このように、私たちは注意深く歩くことが必要ですが、このときには哲学者の「知識」と「想像力」が役に立ちます。言い換えると、「自分の頭で考えるというより、他人の頭を借りて考える」こと、また「手ぶらではなく、手がかりを使って考える」ことが大事だといえるでしょう。ただし哲学者が同じ言葉を使っているからと、ある哲学者のノリを別の哲学者に持ち込むとバグが生まれます。例えば、プラトンの「イデア」とデカルトの「観念」は、英語ではどちらも“idea”ですが、しかし言わんとすることは全く違います。ただし、この違いをそれぞれの哲学書を一読して明確に理解することは簡単ではありません。まずはガイドの手を借りましょう。
日本語で読める入門書や解説書にはさまざまなものがあります。こういった入門書を手がかりにして、その哲学者の思考システムが大体どんな感じなのかを、ざっくりと把握することは難しくありません。ここまでが本書第2章までの大枠です。
スマホにより「孤立」が腐食し、「孤独」が奪われる
本書はこの先、スマホが登場して以来の私たちの変化に注目します。ここで鍵となるのが「孤独」と「孤立」です。この言葉は哲学者ハンナ・アーレントの想像力(概念)が元です。この言葉を用いて谷川氏は「常時接続が可能になったスマホ時代において、『孤立』は腐食し、それゆえに『孤独』も奪われる一方で、『寂しさ』が加速してしまうにも関わらず、私たちはそうした存在の危うさに気づいていない」といいます。スマホによる常時接続の世界で失われたものは「孤立」と「孤独」です。ここでの「孤立」は注意を分散させず、一つのことに集中する力に関係するもの、「孤独」は自分自身と対話する力に関わるものです。またこの「孤独」についてアーレントは「沈黙のうちに自らとともにあるという存在のあり方」だと説明します。もう少しわかりやすく言い換えると、「孤独」なときの私たちは「心静かに自分自身と対話するように『思考』している」ということです。
この「孤独」について、谷川氏は特に「喪」の作業を進める上での重要性について触れます。「喪」という孤独が必要な理由は、「今の自分を維持できないほどの大きな衝撃を受けた人は、そこから何らかの問いや謎を汲み上げて、生活を新しく意味づけ直すことで、目を背けたい出来事や関係性と折り合いをつけ、和解する必要がある」からだといいます。
また、この「喪」の作業と孤独といった主題が扱われている作品として「ドライブ・マイ・カー」(2021年)が取り上げられています。主人公である家福は大きな喪失体験をします。この家福の「僕は、正しく傷つくべきだった」という言葉が出される場面について取り上げ、これも広い意味での「喪の作業」の必要性を指摘するものとして理解できると示されます。
哲学という「未知の大地」への冒険へ
ここまでみた通り本書は、まずは哲学とはどのようなものか、どのような点を意識すると哲学の方法を学ぶことができるのかといった点について触れます。その後、現代人にスマホが与えた影響を「孤立」と「孤独」といったキーワードを元にして分析します。ただし、抽象的で難解な哲学用語だけで片付けられるような部分はありません。本書は現代を生きる私たちに寄り添う哲学の入門書ともいえます。しかし、もちろん本書の思考や言葉は、古代ギリシャから現代まで長い時間をかけて哲学者が培ってきた、深い思索や想像力に根差しています。この意味で、本書は常時接続の時代に悩んでいる私たちを、古代から連綿と続く哲学の入り口に立たせてくれる本です。
あとがきで谷川氏は、本書を読むことは「私の抱く疑問に参加し、一緒に考えてみる」ことだったと言います。「一緒に考えてみる」というのは、哲学という「未知の大地」への冒険でもあります。いったいどんな冒険が始まるのか。本書を開いて、冒険のあとに見えてくる風景をぜひ体験してみてください。
<参考文献>
『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(谷川嘉浩著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
https://d21.co.jp/book/detail/978-4-7993-3142-2
<参考サイト>
谷川嘉浩氏のX(旧Twitter)
https://x.com/houkago_kitsune
『増補改訂版 スマホ時代の哲学』(谷川嘉浩著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
https://d21.co.jp/book/detail/978-4-7993-3142-2
<参考サイト>
谷川嘉浩氏のX(旧Twitter)
https://x.com/houkago_kitsune
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