●天を相手にするには誠心誠意が必要
第二十二番「己れに克つに、事々物々時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克居れよと也。」
「己に克つ」、つまり「こうやろう」という誘いがあっても「それはよくないからやめておけ」と自分の欲望や強欲をぐっと制止する力も、「事々物々時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり」、つまり時々はできるということではいけないし、いつも「克てよ」「克己だ」と言い続けないとできないのも良くないということです。「兼て気象」の気象とは性格という意味ですが、そういう克己が性格になるぐらいに自分を鍛えないといけないということです。何気なくやっていても、それがきちんと克己にかなっているような自分をつくることが重要であると、西郷南洲は言っているわけです。
その末、そういった心境になるためにはどうしたらいいのか。
第二十五番「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」
人とは移ろいやすく、先ほど褒めてくれたと思えば、今はもうそうではないと言う。人の心はくるくる変わるものだから、人を相手にするのはやめ、天を相手にする。天は全く変わらない。その天を相手にして、己を尽くすことしかない。しかし、人はそこまで見て取らないが、天は見て取る。だから天を相手にするとなったら、「我が誠の足らざるを尋ぬべし」、つまり誠心誠意で当たらなければ、天を相手にするとは言い難い、ということです。こういう文言が吐けるというのは、西郷南洲という人が一生懸命、天を相手に生きたということを意味しているのでしょう。
●始末の困る人でないと難局は乗り切れない
最後に、今までお話ししたことを繰り返すことで、どういう人物になるかと言えば、こちらになります。
第三十番「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」
脅しても命もいらず、名誉をあげるからと言っても駄目で、官位を授ける、お金をあげるからと言っても駄目という人は、もうどうしようもない。何をしようとも効果がない人だから、始末に困る。そのように始末に困る人でなければ、「艱難」、すなわち国家や会社の重大事に対し、一緒に励もうとか、何とか難局を乗り切ろうということは、成し得られるものではない。そういう人が、一人でも二人でも、この日本の国家に生まれてくるかどうかということが重要なのだと、西郷は言っているのです。
ここから、西郷南洲という人は、そのように生きて、あのような領域にまで到達した人なのだ、ということが分かるのです。
●西郷の愛した言葉「一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓する」
最後に、西郷南洲が非常に好んだ有名な人物として、宋の国の陳竜川という人の言葉を紹介して終わりたいと思います。
その言葉と西郷南洲が出会ったのは、若い頃、君主と一緒に江戸へ最初に出てきた時のことです。その時、西郷は水戸の藤田東湖という人を訪ねます。藤田東湖も、ある意味では非常に大きな役割をした人です。藤田東湖に出会った人で、彼の弁説に影響を受けなかった人はいないというほどの人物です。出会った人は皆、影響を受けてしまうくらい魅力あふれる人だったのでしょう。藤田の自宅は今の後楽園の中にあったのですが、安政の大地震の時、彼はいったん外に出たのだけれど、母親が残っていることを知って、もう一度家の中に飛び込んでいき、惜しくも家屋が全壊したため、母親ともども亡くなってしまうという劇的な最期を迎えた人です。藤田が幕末の志士に与えた影響力は、計り知れないものがあります。そんな彼の家を西郷が訪ねるのです。すると、家の玄関に大きな額があって、そこに大きな字で書いてあったのが、その言葉でした。西郷南洲はその時、震えが止まらなかったそうで、それくらい、これぞ自分がモットーとすべき言葉だと思い、終生この言葉を愛したのです。では読んでみましょう。
「一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓せよ。」
「一世の智勇」とは、自分一人の智勇、例えば「あなたは知恵のある人ですね」とか「あなたの勇気はすごいですね」という、自分に対する毀誉褒貶のことです。そんなものは「推倒せよ」、すなわち張り倒せと言っており、そんなものは害になるだけで全く良くない、そんな小さい人間では困るということです。
ではどうしたらいいのか。「万古の心胸を開拓せよ」とあります。「万古の心胸」とは、古代中国でいえば堯、日本でいえば先に挙げた五人(聖徳太子・天武天皇・北条泰時・徳川家康・西郷南洲)の心境、心の在り方のことで、それを自分に植え付けていくため、あるいは自分にも持つために一時一...