●水野忠邦・阿部正弘・井伊直弼――連続的に捉える歴史の見方が大事
―― 先生、今日はペリー来航の話からで、阿部正弘の人物像ですね。阿部正弘の強かった部分と弱かった部分ですが、特に彼の最大の功績は、やはり若手の優秀な人たちを(抜擢したことでしょうか)。
山内 実務官僚ですね。
―― 実務官僚の流れは阿部正弘から始まるのではないかと思っています。しかも川路聖謨(かわじとしあきら)、岩瀬忠震、永井尚志、勝海舟という錚々たる人間を一斉に登用できた点、非常に柔軟に感じます。
また、海軍の元になるような形の学校を作ってみたり、専門通訳を養成したりします。ロシアとの交渉にあたっては、現在のキャリアとノンキャリアの採用の仕組みに近い形も取ったようです。この時に川路聖謨を語学のスペシャリストとした。非常に近代的な、日本の明治以降に続く官僚制度の元をつくった人になるのかという感じがしています。
阿部正弘には徳川斉昭を抜擢して非常に混乱を招いた部分と、次世代につながる優秀な人たちを、決して石高は高くないけれど試験で選抜して役人に取り立てるようにした部分がある。その人たちが幕末もさることながら、結局は明治政府を支えていった。そのあたりについて、先生の評価やお話をお聞かせいただければと思います。
山内 大変重要な点をご指摘されましたね。今日は全部お話しできないかもしれないですが、たしかに阿部正弘を強調されたのは大変重要な点です。
ただ、その半面、阿部正弘がなんとなくわれわれの意識で善あるいは非常に前向きの政治家であったと映るのは、比べる素材があって阿部正弘が高く見えるわけです。
今のご指摘がそうであったというわけではないですが、日本人が阿部正弘を評価する場合は暗黙のうちに、その前の水野忠邦がいる。老中だった水野越前守忠邦に対する評価は、どちらかというと低いですね。それからもう一つ。阿部正弘の後で大老職を務める井伊掃部頭直弼、後の井伊直弼、前の水野忠邦に比べて、阿部正弘が高く見えるというわけです。
実際の阿部正弘は決して単純な人間でもないし、本当にそう高く評価される(ハイリー・エバリュエートな)人間かどうかというと、疑問を感じます。その疑問を今、私は考えているところです。
逆に今、水野忠邦は非常に悪く捉えられています。天保の改革が、最後は打ちこわしを招き、西...