●「八方美人」阿部正弘の残した問題が山積
山内 政治を安定化させる、あるいはそれを使命とするというのは基本的にどういうことかというと、第一に極端な意見を吐かないということです。
―― なるほど。
山内 それから第二、誰とでも仲良くする。第三に、当たり障りのない政策や意見をすること。
これらを分かりやすい言葉ではなんというか、「八方美人」といいます。そういう八方美人的な要素を持っていないと務まらなかったときに、阿部正弘という希有の人格者、希有のバランス感覚の持ち主、希有の「中庸」の持ち主が現れた、あるいはそれを登用したということです。
しかし今、八方美人という言葉を使ったように、本当のバランス感覚や中庸というのは、そのように誰とでも仲良くできる、誰からも文句が出ないようなことをいうことなのか、それが政治家としての本当の力量かどうか。ここを、世の中や私たちは誤解しているかもしれない。
―― なるほど。面白い視点ですね。
山内 というのは、彼らは大奥と当然うまくやるわけです。それから、島津斉彬や越前の松平春嶽(慶永)のように、当時としては開明派といわれつつ、公にはまだ攘夷論に立脚しているような大名たちともうまくやる。そして、なんと幕府最大の不安定要因でもあった水戸の徳川斉昭ともうまくやる。こんなこと、普通できますか。
―― あり得ないですね。
山内 あり得ないでしょう。ただ、そのあり得ないことが阿部正弘にはある程度できた。では、物事は進んだのか、物事はそこで決定的に改良されたのかというと、必ずしもそうとはいえないところがある。そこが、(後世の)われわれがものを考える場合のポイントです。
―― なるほど。
山内 阿部正弘の時代、彼が本当にみんなの評価するようなレベルの人間だったとすれば、井伊直弼があのような悲劇に遇い、桜田門外で非業の死で倒れる前に、あるいは堀田正睦、安藤信正等々が罷免され失脚したり、坂下門外の変で傷を負ったりするようなことになる前に、問題解決の緒に就いていたかもしれないわけです。
ところが、「問題を山積」というと非常に酷な言い方になるけれど、阿部正弘は問題を残して死んだわけです。ですから、そういう理由なり原因をならしめた阿部正弘という人はどういう人だったのかというのを見ていくことになります。
―― そうですね。これはとても面...