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孔子が最も嫌う「巧言令色」から渋沢栄一が学んだこと

渋沢栄一の生涯と教養としての『論語』(8)『論語』を読む<2>

田口佳史
東洋思想研究家
情報・テキスト
孔子
Wikimedia Commons
渋沢栄一が孔子に学んだことは多い。例えば、音楽を聴く喜びは素晴らしいが、それにうつつを抜かさないようにとする「關雎は楽みて而も淫せず」。あるいは思ってもいないことを言葉にする口先だけの人間が社会秩序の最大の敵だとする「巧言令色、鮮いかな仁」。渋沢が尊重し事あるごとにかみしめた言葉をたどっていこう。(全9話中第8話)
時間:11:54
収録日:2020/03/03
追加日:2021/09/05
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≪全文≫

●楽しさに「うつつを抜かさない」という孔子の教え


 渋沢が尊重している文章の紹介を続けます。

「子曰く、關雎(かんしょ)は楽みて而も淫せず。哀みて而も傷(やぶ)らず」

 通常、『論語』の代表的な文章を挙げろといって、こういうところが挙がることはまずない文章です。これも、渋沢は非常に尊重して挙げています。

 「關雎」は『詩経』という経書からのものです。五経には『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』がありますが、このうちの『詩経』をバッと開くと一番最初に出てくるのが「關雎」の詩なのです。

「關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は、河の洲に在り。窈窕(ようちょう)たる淑女は、君子の好き逑(つれあ)ひなり」

 という文章で、これは歌うかのように、「かんかんたるしょきゅうはかわのなかすにあり~」と詠まれるものでした。心が非常に晴れやかになり、浮き立つような音楽が「關雎」の詩だといえるでしょう。

 孔子は「關雎」の音楽を非常に楽しいものだと認めていますが、「淫せず」と言っています。心を奪われ、それにうつつを抜かさないという意味です。孔子にも喜怒哀楽は強くありましたが、それにうつつを抜かさない。心を奪われないことが重要なのだということで、渋沢はこの章句を上げているわけです。


●感情に負けず喜怒哀楽をコントロールする


 人間である以上、喜怒哀楽はもちろんありますが、それに飲み込まれることがない、ということです。これは、四書の中の『中庸』巻頭にも、全く同じことが書いてあります。そこでは、「喜怒哀楽をいまだ発する前の状態が中庸の心だ」と言われます。したがって、感情的にならずに、自己コントロールが効く人間になるべきだということです。

 私自身にも経験がありますし、失敗した人間を何人も見ていますが、「言わなければよかったのに」という一言を、腹立ちまぎれ、怒りにかまけて言ってしまい、一生を台無しにするということは、よくあることです。

 孔子は、そういう失敗をずっと見てきたのでしょう。したがって、自分は喜怒哀楽ごときに負けてなるものかと思った。渋沢栄一もまったく同じで、喜怒哀楽に負けない。喜んだり怒ったりはしますが、すぐに切り上げるということです。

 これも、渋沢が自分を鍛錬するのに非常に学んだところではないか、ということです。


●「巧言令色」はなぜ社会秩序を破壊するのか


 次に挙げるのは、大変有名な言葉で、「巧言令色、鮮(すくな)いかな仁」です。

 孔子が一番嫌う人間は「巧言令色」の人でした。「口先人間」といえばいいでしょうか。本当にはそう思っていないのに、口先だけで対処していく人間を指しています。

 孔子はなぜそういう人が嫌いかというと、彼らはだんだん巧みになってくるにつれ、思ってもみないことを言うのに長ける。褒めことばなども非常に巧みになり、あたかも思っているかのように人を欺いてしまう。それが世の中の混乱の極致だと考えたからです。

 一番の極致は、わあわあ言う人ではなく、うそ偽りをまるで真実のように言う人が、世の中を惑わすという点において一番厄介だと見たわけです。そのために、思ってもいないようなことを上手に言う、うそをつくような人が嫌いだと公言しました。

 ですから、少なくともそういう人間にはならない。なぜかというと、「信なくば立たず」で、「信」はそういうところからは生まれてこないからです。

 その点、渋沢は非常に信頼された人でした。厄介な問題が起こっても、渋沢が調停に行くと、その席に着いただけで両者が「悪うございました。よく分かりました」と言ったという逸話が残っているぐらいです。

 それは何かというと、「うまいことを言わない」。うそをつかず、自分の本心で全て対処するということを貫いた人。これが、信頼を生んでくる最大のポイントです。長く付き合えば付き合うほど、その人間というものをよく知ることになり、口先だけでは対処しきれなくなってくる。それが人間の付き合いだというのが、渋沢の学んだことです。


●「任重くして道遠し」と「死して後に已む」


 次に、渋沢も説いていて、大方の偉人がみな的を射ていることがあります。次の文章、これも有名な『論語』の一文です。

「曾子曰く、士は以て弘毅ならざる可からず。任重くして道遠し。仁以て己が任と為す。亦重からずや。死して後に已む。亦遠からずや」

 これはどういう意味かというと、「士は以て弘毅ならざる可からず」。「士」は士大夫という教養人。教養人は弘毅(節度を失わない)でありたい。非常に辛抱強い意志を持つ人であり、苦節十年、こつこつと努力を忘れずに仕上...
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