この講義シリーズは第2話まで
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渋沢栄一の生涯と教養としての『論語』
渋沢栄一はなぜ「近代化の牽引者」になろうとしたのか
渋沢栄一の生涯と教養としての『論語』(3)身分制度への懐疑と海外での体験
哲学と生き方
田口佳史(東洋思想研究家)
農家に生まれた渋沢栄一はやがて一橋家に仕える身となり、明治政府を経て商工の中心へ。彼の人生は「士農工商」全てを体験したものだった。そんな彼が「近代化の牽引者」になろうとした理由の一つに、身分制度への深い懐疑がある。その源泉は成長過程のどこにあったのだろうか。また、海外体験で出会ったものとは。(全9話中第3話)
時間:12分38秒
収録日:2020年3月3日
追加日:2021年8月1日
収録日:2020年3月3日
追加日:2021年8月1日
カテゴリー:
≪全文≫
●豪農出身の渋沢栄一には本を読む時間があった
今回は、渋沢の人生に戻ります。渋沢が17歳になった時、彼にとっての転機だったのではないかと私が考えることが起こります。代官から呼ばれて、金の提供をせよ、と申しつかったことです。
それまでは、父親が代官との付き合いを行っていましたが、「もう17歳にもなったことだから、代わって代官所へいってくれないか」とでも頼まれたのでしょう。栄一が代官所へ「何でありましょうか」と顔を出すと、殿様の娘が今度結婚して輿入れすることになった、ついては諸費用がかさむため、みんなにそれを分担してもらおうと思っている、と言われるわけです。
渋沢は、第1回で申し上げたように貧農ではなく、どちらかというと豪農でした。豪農の人には何が与えられるかというと自由時間で、暇な時間があるわけです。貧農は、とにかく朝から晩まで働いて暮らします。農家というと「時間がない=いつも働いている=勉強の時間がない」ということで、「本を読む時間がない=教養がない」ところまでつながりがちなのが、江戸の農民観でした。
しかし渋沢に限っては(というよりも私はかなりの数のそういう農民がいたと思うのですが)、裕福であったため、朝から晩まで働く必要はなかったのです。肉体労働をしなくてもよくなるとどうなるのかというと、人間の特性としてやはり学ぼうということになります。
●代官所に楯突いた17歳の渋沢
渋沢も3、4歳の幼い頃から親について『論語』を学ぶなどを続けていました。ですから、17歳にもなると四書五経を全て学び終えた一廉の教養人になっています。したがって、世の中のことが相当よく分かっていて、代官所で次のような感慨を得ました。
なぜわれわれが苦労して働いたものを、いつもいつも税金として要求されると、それにしたがってハハァと言って差し出すのか。百歩譲って出すのはいいとしても、出させるほうが権力として威張っていて、出すほうが卑屈になっているのはどうもおかしいのではないか。
そのように思っていたところ、代官所では割り当ての話が進み、某家はいくら、某家はいくら出してもらう、という話になっていた。普段の思いが爆発してしまったのでしょう。彼は即答を避け、「今日は代理で来ておりますから、家に帰って親父と諮って返答したい」と答えます。
代官は激怒して、「何を言っているのだ...
●豪農出身の渋沢栄一には本を読む時間があった
今回は、渋沢の人生に戻ります。渋沢が17歳になった時、彼にとっての転機だったのではないかと私が考えることが起こります。代官から呼ばれて、金の提供をせよ、と申しつかったことです。
それまでは、父親が代官との付き合いを行っていましたが、「もう17歳にもなったことだから、代わって代官所へいってくれないか」とでも頼まれたのでしょう。栄一が代官所へ「何でありましょうか」と顔を出すと、殿様の娘が今度結婚して輿入れすることになった、ついては諸費用がかさむため、みんなにそれを分担してもらおうと思っている、と言われるわけです。
渋沢は、第1回で申し上げたように貧農ではなく、どちらかというと豪農でした。豪農の人には何が与えられるかというと自由時間で、暇な時間があるわけです。貧農は、とにかく朝から晩まで働いて暮らします。農家というと「時間がない=いつも働いている=勉強の時間がない」ということで、「本を読む時間がない=教養がない」ところまでつながりがちなのが、江戸の農民観でした。
しかし渋沢に限っては(というよりも私はかなりの数のそういう農民がいたと思うのですが)、裕福であったため、朝から晩まで働く必要はなかったのです。肉体労働をしなくてもよくなるとどうなるのかというと、人間の特性としてやはり学ぼうということになります。
●代官所に楯突いた17歳の渋沢
渋沢も3、4歳の幼い頃から親について『論語』を学ぶなどを続けていました。ですから、17歳にもなると四書五経を全て学び終えた一廉の教養人になっています。したがって、世の中のことが相当よく分かっていて、代官所で次のような感慨を得ました。
なぜわれわれが苦労して働いたものを、いつもいつも税金として要求されると、それにしたがってハハァと言って差し出すのか。百歩譲って出すのはいいとしても、出させるほうが権力として威張っていて、出すほうが卑屈になっているのはどうもおかしいのではないか。
そのように思っていたところ、代官所では割り当ての話が進み、某家はいくら、某家はいくら出してもらう、という話になっていた。普段の思いが爆発してしまったのでしょう。彼は即答を避け、「今日は代理で来ておりますから、家に帰って親父と諮って返答したい」と答えます。
代官は激怒して、「何を言っているのだ...