●藍づくりがなぜ難しいのか
今回は、藍づくりがなぜ難しいのかということを少しご説明しましょう。
(藍の製造工程における)問題はいくつかあります。一つは藍の葉をたくさん集めなければいけないことです。最終的には半分ぐらいになってしまうわけですから、多ければ多いほどいい。そのためには、栄養をやらなければいけない。干鰯のほかにニシンを干した肥料などもあります。そういうものが十分に与えられ、日当たりも水はけも良いところで育ったものが、いい藍です。
いい藍を安く買う、つまり良材料を安く買うことがとても重要ですから、ここに「駆け引き」の技能もプラスされてきます。ビジネスの根幹はなるべく安いコストで、できるだけいい材料を仕入れることですから、このプロセスを丹念にたどった藍玉を、画期的な価値のある商品にしていくということです。
渋沢の家では、父親の前の代からこれらの業務を始めていました。祖父は藍づくりの苦労、その体験を重ね、その道のベテランとして鳴り響いていたそうです。渋沢栄一はその祖父に付き従い、藍を買いに行くところから、藍の作業を経て藍玉を売るところまで、ずいぶんしっかり習ったということです。
●藍と絹のプロセスで増えるさまざまなバリュー
私は今回(のシリーズ講義で)、渋沢栄一と『論語』の関係を皆さんに良く知っていただくために、どう話を構成しようかと考えました。
渋沢栄一を指す二つの言葉の一つとして、「近代化の牽引者」とよくいわれます。もし彼がなければ、明治の近代化の中で、工業や商業の推進は非常に乏しかったのではないかという考え方です。こう考えると、渋沢栄一という人は近代化の牽引者なのです。
しかし、彼はなぜ農民でいながら、そこまで近代化を理解して、牽引者たり得たのでしょうか。私がそのために、まず第一に皆さんにお示ししなければいけないと思ったのが、彼の育った環境である藍づくりと絹づくりでした。どちらも非常にプロフェッショナルな技術や感覚が要求されますし、そこで「ビジネスマインド」といってもいいものが育まれました。
商品を作る過程も、材料を買ってバリュー(価値)をどんどん高めていくプロセスにも、彼は現代のビジネスパーソンよりよほど優れたコツを身につけていたのではないか。そう言わざるを得ないところが多々あります。これについては、彼の育った...