●国を強化するため政の大体は三つある
第三番「政の大体は、文を興し、武を振い、農を励ますの三つにあり。その他百般の事務は皆この三つの物を助くるの具也。」
つまり政治という行為はどこに集約されるべきかといえば、まず文を興さなければならないということです。「文を興す」とは、日本という国でなければ興らない精神、すなわち日本の伝統精神文化のことを言っています。地域に根差した国家が独立して活動をしているのは一体何のためか。金のためか。世界を制覇するためか。そうではない。独自の文化や独自の伝統はずっと続いて存在するのだから、まず考えなければならないのは、それらを隆盛に興すことだと言うのです。
さらに「武を振い」とは、当時の状況からいえば西洋列強の脅威は相変わらずあったので、そういった外的な脅威を頑としてはねつけるためのさまざまな仕掛けや仕組み、その用意や準備がなければならないということです。
そして何といっても、国民が満足のいく生活を送るためには、やはり食糧がしっかり自給自足されなければいけない。西郷は、この三つに政の大体はあるのだと言います。
その他百般の事務は、全てこの三つの目標を「助くる」具(道具)であるというぐらいに思いなさいとして、何としてもこの三つに集約させて国を強化する必要があると西郷は言っているのです。ある意味では要点主義で、重要点をしっかり把握していた人なのだということがよく分かります。
●政治家は厳し過ぎるぐらいの勤労が必要
第四番「万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。」
「万民の上に位する」とは、政治家は天に代わって万民の上に位するのだから、己などというものがあっては天の代わりは務まらないということです。そういう意味で、己をなるべく慎んでいく、つまり行動面でいえば品行を正しくするということになり、驕奢(ぜいたく)を戒めるということです。このことは、この後に続く文章にも出てきます。われわれは良い国をつくろうと思って戦いながら、多くの同僚がばたばたと倒れ命を落としたではないか。まさに今、その理想的な国家がつくられようとしているそのときに、多くの明治新政府の高官は豪華な家に住み、多くの美しい妾を囲うなどして、豪奢に過ごしている。これでは亡くなった人に申し訳ないと、はらはら泣く部分があるのですが、そういうことを言っているわけです。
「驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり」とは、上に居る人間はあのぐらい働かなければいけない、上に居るとはああいうことなのだという、その標準になりましょうということです。そして、この次が重要なのです。「下民その勤労を気の毒に思う様ならでは」、つまり下の国民が、国家の上の方の人間をあんなに厳しく働いているのは気の毒だと見るようにならないと、「政令は行われ難し」、つまり政令として出すものを国民が「はい」と聞くことにはならないということです。出している当人があのような驕奢なことをやっているのであれば、そんな人の命令を聞く必要はないということになってしまうと言っているわけです。
●克己には「母意、母必、母固、母我」が必要
もう少し読んでみたいと思います。
第二十一番「道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己に克つの極功は『母意、母必、母固、母我』と云えり。」
「道」とは、第一番に「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うもの」とあったように「天道」を行うものなのです。ですから、この「道」を行うとは、天の働きを自分が受けてこの世で展開すること、言わば天の通訳、天の代わりにならなければならないということです。
したがって、「天地自然の道なるゆえ、講学の道は」とは、そういう人が吐く言葉、特に学問などというものは、「敬天愛人を目的とし」ということです。「敬天愛人」とは何か。われわれは天からどのくらい恩恵を受けているか分からないが、天は恩着せがましく言うことはないではないか。それほど天はわれわれ人間を愛してくれている。天が愛してくれていることに対して、われわれはどうやって応えるのか。天を敬う、すなわち、ありがとうございます、という感謝を含めた天に対する崇敬の念を持つことが重要だ、ということです。そういう意味で、あるレベル以上にまで到達した人は、自分のことばかり主張したり、私欲を持ったりするということではいけない、ということです。
つまり「身を修するに克己」、己に克たなければならない、怠惰で放縦で強欲で傲慢な自分に克たなければいけないと言っているわけです。その「己に克つ」...