●現代の債務返済機構と19世紀の債務管理局
皆さん、こんにちは。
ギリシャが借金を返すだけの国家、借金返済マシーンに事実上転落しているということについて前回お話ししましたが、ユーロ圏は、ギリシャにおいてこういう債務返還を確実ならしめるために、ギリシャの国有財算を処分していく、そうした債務返済機構を設けようとしています。これも合意の中に含まれたのです。
この債務返済機構というユーロ圏の措置は、私たちが歴史の中で見る19世紀後半のオスマン債務管理局の仕事を連想させます。オスマン債務管理局とは、オスマン帝国、トルコの負債を確実にヨーロッパ諸国の債権者たちに返すためのものでした。債務返済にあたり、一番確実で取りっぱぐれがないのは、関税です。トルコの関税、輸出輸入税を全て債務管理局が押さえて、それを債権の回収として使っていった。こういう仕事をしたのが、オスマン債務管理局です。
今もイスタンブールに行きますと、債務管理局が残っていまして、ちょうどイスタンブール旧市街のイラン総領事館、昔のイラン帝国の大使館だった所ですが、その大使館の通りを真っすぐ行きますと、同じ並びにオスマン債務管理局跡の立派な建物があります。私は見たことはないのですが、地下には巨大な金庫が今でも据え付けられたままだとされています。
●もともとの東方問題
結局、今のこうしたギリシャ、それからウクライナ、あるいはイランという問題に共通する国際現象は、あえて申しますと、新しい東方問題の誕生と言えるかもしれません。
東方問題というのは、もともと1820年代のギリシャ独立戦争を契機として、そのギリシャの独立を阻止しようとしたオスマン帝国、すなわちトルコに対してヨーロッパが干渉したことによって生じた外交問題の呼び方です。もっと具体的に申しますと、この問題をめぐり英仏が、ドイツはまだ統一していませんでしたが、ドイツの諸領邦が、あるいは、イタリアも統一前においてはイタリアの各諸国、こうした国々プラスロシアやオーストリアという大国が競争を行い、時には協調も済ませ、そして、時には同盟も結びながら、この局面を展開していったのです。こうした一連のギリシャ独立戦争以来のオスマン帝国の領土や外交をめぐる問題、これを包括する外交の概念が、東方問題と呼ばれたものであります。
●新しい東方問題にみる二つの変化
ただし、大きく変わった点が二つあります。当時「ヨーロッパの病人」、“Sick man of Europe”という言葉が語られていました。ヨーロッパ外交やヨーロッパ経済がいかんともしがたい、手の施しようがないような病人が一人いる。これはトルコ、オスマン帝国だと言っていたのに、現在は、それはまさにギリシャになったということです。
19世紀、後のドイツ帝国、統一ドイツの原動力になったプロイセン(プロシア)の首相であったオットー・フォン・ビスマルクは、東方問題に関心を持とうとしませんでした。それよりも大事なことは、ヨーロッパの中のこと、すなわちドイツ統一問題だというように考えていましたから、ビスマルクは、「東方問題はポンメルンの敵弾兵の骨一つに値しない」という有名なセリフを吐きました。ポンメルンというプロイセンの一地域の歩兵、それが戦って仮に戦死した場合、その骨の一つをかけるほどにも値しない。だから、そうした東方問題に関わらない、と言ったのが、ビスマルクだったのです。
ところが、21世紀のビスマルクの末裔たち、すなわちアンゲラ・メルケル首相は反対でありまして、ウクライナからギリシャ、ひいてはイランに及ぶこの東方に対して、積極的な進出策を採っています。そこで巧妙なのは、前回にも触れた「新しい帝国」ということに関わりますが、彼女は、ドイツが新しい帝国であるという印象を与えないように非常に巧妙に立ち回っています。そして、自分たちは、EU、ユーロ圏のために働いているのだ。EU、ユーロ圏あってのドイツだという、こういうやや引いた立場、少なくとも外見上はそういう控えめな印象を与える立場で、実際に債務不履行、デフォルト状態に入っているか、あるいはその寸前のギリシャやウクライナの問題に関与しているというのが実際のところです。
この意味では、新しい東方問題とは、ドイツのEU、ユーロ圏における、ある意味でドイツの覇権を映し出す、実際には東方問題ではなくて西方問題、西洋、西ヨーロッパ、ドイツを含めたヨーロッパ自身の問題の鏡になっているのが、この新しい東方問題だと言うこともできるでしょう。
●強引なドイツと抑圧されるギリシャの悲劇
いずれにしても、核を持たないドイツが核を保有している5カ国に対して、堂々とそれに伍してイランと協議する光景は、いささか驚くべきもの、あるい...