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ルクレティアの悲劇に象徴されるローマの共和政

古代ローマ人に学ぶ~ローマ史講座Ⅱ(4)ローマの自由と寛容を知る

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
概要・テキスト
ルクレティアの最期(レンブラント・ファン・レイン)
ローマとローマ人精神を語る上で「自由と寛容」は欠かせない、と古代ローマ史を専門とする東京大学名誉教授・本村凌二氏は言う。ローマ人たちは、征服した土地の神さえ自分たちの神として神殿に祀り、その土地の人々を自分たちの色に染めようとしなかった。その寛容さの根底に、自由への強い思いがある。(全5話中第4話)
時間:17:43
収録日:2016/10/20
追加日:2017/02/03
カテゴリー:
≪全文≫

●ローマの特質は「自由と寛容さ」にあり


 ローマ人が共和政国家として強国、そして大きな覇権を築いていく過程の話を続けます。彼らには非常に質実剛健な面があり、父祖の威風を守るなど、堅苦しい感じを受けなくもないのは確かです。しかし一方で、ローマ人は非常に「自由を重んじる」ことを大切にしました。このことは、後にローマ帝国を確立し、長期間にわたって広大な地域を支配できたことにも相通じるかもしれません。

 自由というと、得てして自分の自由を重んじて、他に対しては寛容でないといったことになりがちですが、やはり自らの自由を重んじる以上は、他者に対してもある種の寛容が求められます。ローマ人は、そのような「自由と寛容さ」の特徴を極めて強く持っていた民族ではなかったかと思います。

 ローマでそうした「自由」が最初に出てくるのは、共和政が始まる紀元前509年のことです。初代王ロムルスに始まって7代にわたる王政期が続きましたが、その末期ローマは繰り返しエトルリア勢力の侵攻がありました。当時の先進地域だったエトルリア出身の人々は事あるごとにローマに入り込み、中枢でのし上がる人物も出てきました。つまり、ローマは他民族に支配されるという苦い経験をしたのですが、中にはいい王ばかりでなく、特に最後の王の一族は大変暴虐でした。そのため、ローマ人は立ち上がり、彼らを追放したのです。以下は、それを象徴するルクレティアの話です。


●「高潔なるルクレティアの悲劇」とは


 ルクレティアの夫は、エトルリア人の王の息子が率いる軍隊に所属していました。ある時、戦地で妻の自慢比べが始まり、男たちは口々にいかに自分の妻が素晴らしいかを競いました。素晴らしいとは外見の麗しさだけでなく、尽くしてくれる美徳や品行方正な貞淑さにも及びます。ひとしきりそんな話が続いた後、「では、急いで帰って、妻たちがどんな振る舞いをしているか見てみよう」ということになりました。

 戻ってみると、ほとんどの妻が勝手気ままに羽目を外している中、ルクレティア一人が夫の帰りを待ち望んで家事万端を整え、質素でしとやかな生活を送っていました。

 これを見て、エトルリア人の王の息子が、ルクレティアの夫に対して非常な嫉妬心を燃やします。彼は夫の留守を見計らってルクレティアの元を訪れて強引に泊まり込み、夜間になると寝室に忍び込み、強引に襲いま...
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