●スキルアップこそ、「働き方改革」の本丸だ
次に、中長期的な課題も含めた方策に入っていきましょう。中長期的には、生産性を高めていくにはどうしたらいいのかが大きな課題になってきます。そしてずっといわれていることですが、これはなかなか難しい課題だろうと思います。
私が重要視しているポイントは、必要な能力、必要な知識、必要なスキルを、もっと積極的に身に付けさせることです。働いている本人の視点からすると、そうしたものを身に付けていく努力をする必要があるということだろうと思います。
広くいえば、これは教育の問題ということですし、会社の中では技能訓練や能力開発といわれていたものです。こういうものを、もっと幅広く、より積極的にやっていくことで、人々の能力を高め、生産性を上げて、より稼げるようにしていく。これが大事になっていると思います。
●社内教育を後退させてきた日本企業
こういうことを改めて申し上げなければいけない理由は、大きく分けると二つあると思っています。一つは、日本企業の体質です。世界的に見れば、日本企業は伝統的に、社内教育や能力開発をかなり手厚くやってきた組織だと思います。そしてそれを通じて、能力の高い人材が配置されてきた部分があります。
しかし、いろいろな国際競争が徐々に激しくなってくると、各企業も余裕がなくなってきます。例えば、今までは能力開発に人を割き、半年ほど研修を行っていたとします。これが、やがて3カ月になり、1カ月になり、1週間になり、3日になっていく。そして、研修を行わなくなった3カ月なり半年なりは、とにかく働いてくれ、ということになってきました。
そうなると、それで働く時間は増えますから、業績が上がったように見えるわけです。しかし、そうやって皆が自転車操業のようにやっていくと、結局は将来必要な能力(への教育投資)がだんだんと細くなっていき、中長期的には稼げなくなります。こういう事態になってきているのだろうと思います。
バブル期に比べて、社内訓練に充てられたお金は、場合によると10分の1ぐらいになっているという実証研究もあります。バブル期は、お金を出し過ぎていたぐらいかもしれませんが、確かに周りを見渡してみても、そういう教育訓練や研修に充てられている時間とお金は、随分削られていることが分かります。ここを、もう少し考え直さなければいけません。
なお、ここまでの話は主として正規雇用の社員に関するものです。非正規雇用の人たちに関していえば、例えばパートの人たちは、そういう研修を受ける機会すらないといったこともあります。最近でも、研修なしという状況が全くないわけではありませんが、非正規雇用の人たちにも研修を行って能力アップのための機会を与えることで、彼らの賃金を伸ばし、同一労働同一賃金に近づけていくことも、これからはとても必要になってくるのだろうと思います。細ってきてしまった教育投資を改めて進めていくこと(が大事であること)が、こうしたことを申し上げる一つ目の理由です。
●飛躍的な技術革新が、既存のスキルを脅かす
もう一つの理由は、経済環境あるいは技術環境の急速な変化です。ここでいう変化とは規模だけでなく速度のことでもあり、その速度が速いことにも注目すべきだと思っています。変化が速いと、そこで必要とされる能力や知識がどんどん変わっていきます。今まではすごく能力を発揮できて、生産性を高めていたような場合であっても、その環境が変わってしまうと、十分な能力を発揮できないケースも出てきます。場合によると、そもそも必要とされなくなる場合だってあるのです。
極端な例をいえば、人工知能が発達してきて、それが全部やってくれることになったとしましょう。今まで非常に必要とされて、生産性が高かったような仕事、あるいはスキルも、AIが入り自動的に処理をしてくれるようになると、今までの能力は一切要らなくなってしまいます。そういう人たちの能力を、どこで新たに生かしていくのか。どこで、新たに稼いでもらうのか。そういったことを考えると、今までとは違う、あるいは今までとは少し違った能力を身に付けないと、働いていけなくなります。
こうした現象は、「スキルの陳腐化」といわれています。最近になって、そういう言葉を少しずつ目にするようになりました。昔は変化がそんなに速くなかったため、例えば会社に入る前に学校で身に付けた能力、あるいは会社の新人時代に身に付けた能力を少しバージョンアップさせれば、定年まで働くことができました。能力や技能の陳腐化がゆっくり起こっていたので、「それではもはや通用しない」といわれるような頃には、定年になっている、あるいは定年を過ぎていました。定年より陳腐化が遅かったのであれば、十分それでやって...