●4代皇帝は見劣りのするクラウディウス
カリグラの暗殺の後に登場してくるのが、何とゲルマニクスの弟に当たるクラウディウスです。それくらいゲルマニクスに対する期待があったのかもしれません。ただクラウディウスという人は、お兄さんほどには見かけも良くありませんでした。今われわれが彫像で見るものはそれなりに理想化されていますが、伝えられている文献でいえば、非常に良くなく、特に女性からあまり評判が良くありませんでした。大体自分の祖母や母親、それから妹たちからも何となく好ましからざる子どもみたいに扱われていたところがあるのです。その中にあって、クラウディウスは自分に対して唯一、非常に優しい兄であったゲルマニクスを非常に尊敬していたのです。そういう伝説が残っているぐらいゲルマニクスという人のいろいろないい面があり、それが民衆に伝わっていたので、結局、その弟のクラウディウスが引っ張り出されて、皇帝になったわけです。
クラウディウスは、それまで宮廷でゲルマニクスの息の掛かった人間が非常に危険な目に遭って、処刑されたり暗殺されたりということがあったため、一説によれば、わざと愚鈍で目立った性格ではないように演技をしていたのではないかという見方もされています。つまり、皇帝の位など狙いそうな器ではないと思わせることで、彼はむしろ生き延びてきたというのです。そんな中、ティベリウスが亡くなり、カリグラも殺されるということになって、結局誰もいないからということで彼が引っ張り出されて、皇帝になったのです。
●エトルリア・カルタゴ史研究から為政者へ-行政能力を発揮
ところが、皇帝になってからのクラウディウスはある種、為政者としてかなりの行政担当能力を見せています。皇帝になるまで彼は何をやっていたかというと、表立って政治家・軍人としての功績などを挙げていれば、どんな疑いをかけられるか分からないということで、学業に専念していました。
彼は、われわれが知らないエトルリア人、つまりローマ人の前にいたエトルリア人の歴史と、カルタゴ人の歴史も書いています。しかし、彼が書いたエトルリア史とカルタゴ史は、残念ながら全く残っていません。残っていないのは、結局大した作品ではなかったから残らなかったのではないかということです。それなりに優れた作品であれば、やはりそれは何十年、何百年と受け継がれ...