●血なまぐさい陰謀の末に皇位に就いたネロ
クラウディウスが亡くなった後、ゲルマニクスの娘であるアグリッピナの息子、ネロが皇帝の位に就きます。ティベリウスの後のカリグラはゲルマニクスの実子、クラウディウスはゲルマニクスの実弟、そしてネロはゲルマニクスの孫ということで、3人の皇帝は、ゲルマニクスと非常に濃いつながりの中から出てきました。
クラウディウスには、アグリッピナの前妻であるメッサリナとの間にブリタニクスという次期皇帝候補の息子がいたわけですが、(クラウディウスの死後まもなく)亡くなります。この時にネロが手を下したかどうかは分かりませんが、おそらくアグリッピナの差し金であろうといわれています。
また、クラウディウスの死そのものも、やはりアグリッピナの差し金ではないかということが、かなり確率の高い可能性として取り上げられています。叔父であったクラウディウスを、アグリッピナはそれほど慕ってはいませんでした。そこで、なるべく早い機会に亡き者にしようと考え、紀元54年に殺してしまったようです。そして、自分の息子であるネロを次期皇帝に就けるのです。
●セネカの補佐を受け、善政のスタートを切る
われわれは、ネロの名を暴君の代名詞のように使いますが、カリグラ同様、彼も皇帝になった当初は立派な皇帝になろうと努力していました。ネロが即位したのはカリグラより若い10代ですから、最初の4~5年の間は彼もしおらしく務めていました。あるいは、若すぎて、自分の明確な意思を持たなかったという面があったかもしれません。
側近にはセネカなどの優れた哲学者がいたため、補佐を受けながら彼は善政を敷いていました。このセネカも、アグリッピナとの関係から重用された人物らしく、ネロの裏ではアグリッピナがいろいろな糸を操っていたと見られます。
そのように、10代で皇帝になったネロの治世初期4~5年は善政でした。しかし、自分の意思のようなものが芽生えてくると、セネカのような人物にストア哲学の教えを諭されたりすることが邪魔になってきます。とはいえ、最初のうち彼は、皇帝として死刑執行のための許可を行うことにも抵抗があり、「皇帝になどならなければ良かった」としおらしく述べた形跡があります。
●目立ちたがりの芸術家気取りで、民衆の人気者になる
ところが、ネロは成長するにつれて自分の意思を...