●家庭教師も母親をも殺害したネロ
もともとは民衆たちに慕われていたネロは、ローマ大火以降、彼らの多くから反感を買うようになります。軍隊や元老院貴族は、彼の暴君的な態度が募ることに強く反発していきます。
その間のネロの行状を見ていくと、目を覆うものがあります。例えばセネカですが、おそらくは目障りになったのでしょう。ネロは疎ましくなった彼を追放し、その後「自分に対する陰謀に加担した」との理由を捏造します。自分の周りから遠ざけていればそれでいいものを、それ以上に嫌になってきたのでしょうか。これにより、セネカは自殺に追い込まれるのです。
さらにネロは、なんと自分の母親のアグリッピナをも殺してしまいます。アグリッピナはいろいろなことに介入してきていたのですが、直接殺したりするわけにはいきませんから、その殺し方については大変手が込んでいました。
親子がともにナポリ近郊に滞在していた頃、ネロは母親を自分の別荘に呼び、宴会を催して、丁重にもてなします。そして、母親を湖の向こう側へ船で帰すわけですが、その船は沈没するように仕組まれていました。実際、アグリッピナが出航すると、どこかから水が漏り、船はどんどん沈んでいきました。
ところが、幸か不幸か、彼女は非常に泳ぎがうまかったために、岸辺にたどり着いてしまいます。すると、そういうこともありなんというわけで、岸辺にはネロの手下たちが待ち構えていました。たどり着いたアグリッピナは、彼らに殺されてしまいます。ネロとしてはもっとうまくやりたかったのでしょうが、現実には自分の手下が刃を下す形で、母親を死に至らしめるのです。
●「反ネロ」の叫びのもと、あえなく最期
その後、ローマ市中は「ネロは母親殺しだ」という落書きでいっぱいになります。母親まで殺してしまうような人物だということが分かり、ネロの人気は急落します。それは元老院貴族だけではなく、民衆やローマの軍隊からもです。最終的には、ローマ近郊の軍隊が反旗を翻したことが大きな原因となり、ネロは自害に追い込まれていきます。
ただし、反乱を起こしたのはローマ軍の一部です。広い意味での軍隊では決してそうではなかっただろうというのが、われわれ歴史家の見方です。ネロがもう少し冷静にその動きを見て、他のローマ軍の動きも察知していれば、ある種、打つ手はあったのではないかと思います。
ところがネロは、ローマ軍全体が自分に対して反乱を起こしていると思い込んでしまい、軍が頼れるものではいなくなったということで、自害に追い込まれていくのです。これで結局、ユリウス・クラウディウスの王朝は途絶えてしまいます。
さかのぼればカエサル、アウグストゥスはユリウス系に、ティベリウスはクラウディウス系につながります。カエサルの暗殺から数えてわずか100年ほどで、ユリウス・クラウディウスの血につながる人たちが全部亡くなってしまうのです。
●ネロとプレスリーの意外な共通点とは!?
芸術家気取りだったネロは、側近に促されて自害する時に「何という素晴らしい芸術家がこの世から消えてしまうのか」という有名なセリフを残します。
母親殺しで徹底的に人気を落としたとはいえ、ネロは民衆には人気者でした。彼らの前でパフォーマンスをやったり、「パンとサーカス」の催しを派手に行ったりしたので、非常に人気を集めたのです。そのため、ネロが亡くなった後、「ネロは生きている」という伝説がさまざまにあり、実際にネロの恰好をした人間が現れたりしたといいます。
20世紀後半、エルビス・プレスリーが亡くなった後もそうでした。欧米圏では「プレスリーは生きている」という伝説がかなり根強く残っているのですが、それに似た形でネロ伝説は残りました。
しかし、結局その後、カエサル、アウグストゥス、ティベリウスにつながるユリウス・クラウディウス朝の血脈が全くなくなっていきました。そうなると、どんなところから新しい権力者が登場してきてもいいということになります。そのような状況になり、ネロの亡くなった後、1~2年の内乱を経て、次の権力の基盤が「フラウィウス朝」という形で出来上がってくることになります。
(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作、1878年)