●日本には独自の企業生態系がある
皆さん、最近入道雲のように世界を席巻していく日本の企業というと、どこを思い浮かべますか。前回お話しした、かつてのソニーのような企業です。なかなか出てこないのではないでしょうか。ソフトバンク、楽天、ユニクロなど、確かに元気な企業はあります。ですが、新しいイノベーションを次々に生み出し、世界を変えていく企業かというと、残念ながら今挙げたような企業もそうではないと思います。
しかし、かつてはそのように世界を席巻していく企業が日本にたくさんありました。それらの企業は、日本独自の企業生態系の中で発展していきました。今日はその一例である古河グループ5代の歴史をお話しし、皆さんと共有していきたいと思います。
●企業が企業をつくっていく古河グループ
古河グループは、もともとご存じのように明治時代の足尾銅山から始まりました。その足尾銅山を発掘した古河鉱業は、古河機械金属として今も残っており、銅などの精錬・販売や削岩機の製造などの事業を行っています。現在の市場価値(時価総額)は約720億円(撮影当時。以下、全て同様)です。古河機械金属から出た子どもが、古河電気工業という会社です。銅線から始めて今では光ケーブルにおける世界有数の会社となっています。市場価値は約1668億円です。
次に、古河電気工業とドイツのジーメンスが合弁でつくったのが、古河の「ふ」とジーメンスの「じ」をとった重電メーカー・富士電機です。古河グループ3代目で、現在の市場価値は約3217億円です。そして、富士電機から1935年に電話部門が分社化されてできた会社が富士通で、今ではコンピューター事業が中心の会社となっており、市場価値は約1兆2379億円に上ります。さらに1972年、富士通の工作機械のNC(数値制御)の部門が分社化してできたのがファナックです。ファナックの時価総額は、なんと4兆3686億円にまで達しています。
古河グループ5代、どの企業も今も元気にやっていますが、親より子、子より孫、孫よりひ孫が、より大きく、より元気に新しいビジネスをつくり出しています。これは古河グループだけではありません。住友、三菱、三井、日立、あらゆる日本の企業グループがこのような形で子を産み、孫を産み、子や孫を成長させてきました。それが日本の企業・産業のあり方なのです。
これはアメリカとは全く違います。前回(参照:外資系グローバル企業と日本企業の比較から読み解く日本企業の戦略(1)なぜソニーは苦しんでいるのか?)も少しお話ししましたが、アメリカは、個人が独立してベンチャー企業をつくります。そのベンチャー企業が大きくなると、その中にいる人が辞めて、また新しいベンチャー企業をつくっていくのです。そこには、人間が企業をつくる営みがあります。それに対して、企業が企業をつくっていくのが、少なくともこれまでの日本でした。このことを、まず皆さんに理解していただければと思います。
●富士通は、独立当初は軍事技術の会社だった
その上で、富士通について語りたいと思います。富士通は、ファナックという子どもをよく産みました。それができるくらい、富士通は素晴らしい会社なのです。富士電機の電話部門が独立して富士通になったのは1935年。徐々に戦争へと向かう時代でした。独立当初、富士通は、レーダーや通信、無線などの軍事技術に取り組むことになります。1944年には売り上げの95パーセントが軍事分野でした。
後に富士通の社長になった小林大祐という方が、戦後に面白い話をしています。小林さんは軍事技術部門でさまざまな新兵器の開発を担当し、富士通の技術を使って、レーダーや照準器などの電子機器を作っていました。その際、敵を探し出し、飛行機が何分後にどこまで進むのかを予測する装置は、何となく見よう見まねで作ることができたのですが、その予測地点に高射砲を向けて弾を撃つための装置が、スピードが遅くて話にならなかったのだそうです。要は、電子機器は極めて進んでいるのに、電子機器に反応して動く武器が電子機器のレベルに全く追いついていなかったのです。このような機械では駄目だとしみじみ思ったということでした。そうして戦後、富士通はがれきの中から再出発したのです。
●3Cでコンピュータービジネスの花を咲かせる
戦後、当時の電電公社が日本の電話網を再興していく中で、富士通、日本電気、沖電気の3社は電電ファミリーと呼ばれ、電電公社の羽の下でぬくぬくと育っていきました。通信事業がまず真っ先に柱として立ち上がったのです。そういう意味では、富士通は幸運な再出発をしました。
しかしそのままだったら、富士通は沖電気のように通信に入れ込んで、なかなか成長できない会社になっていたでしょ...