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日本的経営でイノベーションを起こすファナックの秘密

日本企業のグローバル戦略~外資系企業との比較(3)ファナックに学ぶ

大上二三雄
MICG代表取締役/立命館大学経営管理研究科 客員教授
情報・テキスト
企業価値が4兆円を超える世界的優良企業・ファナックは、なぜこれほどの成功を収めているのか。なぜイノベーションを起こし続けているのか。創業社長・稲葉氏の姿勢や言葉に触れながら、大上氏がその理由に迫る。
時間:11:17
収録日:2014/04/11
追加日:2014/06/12
≪全文≫

●日本的経営でイノベーションを起こし続ける企業


 それでは今日は、古河グル―プの末裔、5代目のファナックという企業について語りたいと思います。皆さん、ファナックのことをどれだけご存じか分かりませんが、二つの意味で現代の日本が誇るべき企業だと思います。

 まず一つ目に、ビジネスとして大変素晴らしい。それこそアップルやグーグルに匹敵するようなビジネスモデルを自ら作り上げています。そのため利益率が非常に高く、また次から次へとイノベーションを起こしています。それからもう一つ、極めて日本的な経営を行っており、日本でしか存在し得ないような組織をつくっています。この二つの点で、ファナックは特筆すべき企業です。

 前回(参照:外資系グローバル企業と日本企業の比較から読み解く日本企業の戦略(2)古河グループ5代の歴史と富士通の躍進)も触れたように、1956年、富士通の社内ベンチャーとして、ファナックの元となる部門が誕生しました。そして、10年間赤字を垂れ流し続けながら、富士通の中で何とか育っていきました。ちなみに、稲葉新右衛門さんという創業リーダーが一貫して経営していますが、1966年の独立以降は一度も赤字を出したことがありません。

 ファナックはこのようにして富士通から生まれ、最終的には6180億円ほどのキャピタル・ゲインを富士通にもたらしました。その売却益があったからこそ、富士通はITバブル崩壊の後も、何とか惨めな姿をさらすことなく今に至ることができたのです。ファナックの現在の企業価値(時価総額)は、4兆3688億円(撮影当時)。この手の企業としては類のない大きさです。この会社の実力は、それほど高く評価されているのです。


●経営者は、重要な管理要素の全てを知らなくては


 では、ファナックが生まれ育つ中でどのようなことが起こったかをお話しします。稲葉さんは、もともと技術の人でした。ですから徹底的に技術にこだわり、ああでもない、こうでもないと試行錯誤して、とにかく良い技術を生み出せば必ず成功できると考え、NC(数値制御)事業に取り組んでいました。

 ですが、ご存じのように10年間赤字が続きました。社内からはいい加減にしろという圧力がやはり非常に強く、赤字撲滅委員会がつくられてからは、いつも槍玉に挙がっていたそうです。その中で、稲葉さんは技術と商品が違うこと、つまり適正な利益がきちんと含まれてはじめて商品と言えること、それからもう一つ、企業は売ってなんぼ、つまり売上を出してこそ価値のあるものだということを深く学びました。

 では、稲葉さんが具体的にどのようなことをしたかというと、まず徹底的なマイクロマネジメントを行いました。当初ファナックは富士通の一部門でしたから、営業部門などは富士通の本社・大手町にあり、一方の工場と研究部門は川崎にありました。稲葉さんは川崎に住んでいたのですが、毎朝必ず大手町の本社に出社し、外に出て行く営業たち全員に、一人ひとり指示を出していました。営業が全員出払うと川崎に戻って、今度は研究者や製造部の面々と喧々諤々議論をしました。そして夕方、帰ってきた営業たちの報告を聞き、翌日までの業務などを指示するためにまた大手町に戻ります。

 それで稲葉さんが家に帰るかといえば、そうではありません。そこから取引先や業界の人たちと、酒を飲みながら徹底的に話し合うのです。とにかくずっと誰かと話しているから、「稲葉トラえもん」というあだ名がついたほどでした。12時まで飲んだ後、家に帰って寝て、朝4時に起きて、また大手町に出社しました。稲葉さんは、そのサイクルを独立後も長年繰り返しました。その結果、富士通のNC事業、そしてファナックは変貌を遂げていったのです。

 理系も文系も関係ありません。経営するためには、やはり重要な管理要素の全てをまず自分が知らなければならないのです。稲葉さんは、そのような姿勢を、当時の富士通の社長で、文系出身で68歳にして半導体の技術を一から勉強した岡田完二郎さんから学びとりました。このようにして育ったファナックは、1972年の分社化以降、ご存じのように素晴らしい会社になっていきました。


●80年代にビジネスモデルを理解・実践していた


 ここに、稲葉さんがご自身の経験をまとめたものがあります。少し長いですが読ませていただきます。

 まず初めに、マーケットはある時期になると爆発的に成長すると書かれています。閾値があるのです。しかし、そこに達するまで待てずに途中でビジネスを止めてしまう企業が多い。それでは駄目だと述べています。

 それから、まずは小さな巨人にならなければならないとあります。企業の規模は大きくなくてもよいが、体質は強くなければならない。強ければ強いほどよいのです。ここでい...
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