●理工系の修士を修了した後、人事部に14年
大上 今日は、TOTOの成清雄一常務に来ていただきました。成清さんは工学博士にもかかわらず、人事や総務、法務、経理といった分野を所管するコーポレートグループ長をされています。理系では極めて珍しい存在だと思います。一体どのようなキャリアをたどり、今のポジションに就いたのか。まずその辺りをお聞かせいただきたいです。
成清 TOTOには1987年に入社しました。理工系修士を修了後に入ったのですが、たまたま大学院で学んでいた専門分野が有害物質の測定・分析や廃棄装置の設計といった工場の作業環境の研究でしたので、入社後もそのような活動をして欲しいと言われました。これは会社の中でいえば、安全衛生分野になります。
大上 非常に地味な分野ですね。
成清 安全衛生は技術分野でもあるのですが、法律としては労働基準法から分かれた安全衛生法があるため、人事部の所属となりました。今でこそ、弊社の新入社員は修士以上を修めた技術者が6割以上ですが、当時はまだ修士修了は珍しかったのです。にもかかわらず、いきなり人事部の配属でした。以来14年間、私のキャリアのほぼ半分を安全衛生のスペシャリストとして過ごしました。
大上 そのようなことをされていたのですか。かなりニッチな仕事ですね。「こんなことをしていてよいのだろうか?」とは思いませんでしたか?
成清 実は、いろいろと工場の環境を改善できたこともあって、大学の先生から「学会に報告したらどうか」という話をいただき、その報告によって博士号の学位を取ることができました。とはいえ、最初は陶器の原材料に関わりたいと希望していたのですが、願いは叶いませんでした。
大上 メインラインではない会社の端にある専門職で14年。しかし、ドクターを取られたことは素晴らしいと思います。
●一転ゼネラリストとなり、L字キャリアを積む
成清 ところが、会社もいろいろと考えてくれていたようで、人事部門で管理職を務めていた時に、「海外を担当しないか」という話をいただいたのです。
大上 突然ですか?
成清 突然です。それで40歳近くになってから、国際部門へ異動しました。それ以降は、国際部門で商品開発を中心に3年、それからタイで営業を中心に3年、また日本に戻ってきて、東京で不動産関連部門を含めた総務秘書業務を経て、コーポレートグループに戻ってきました。後半はゼネラリストとして、3年おきに違う仕事・職場を転々としてきたのです。ざっとこのようなキャリアを積んできました。
大上 「L字キャリア」ですね。
成清 そうなのですか。
大上 はい。日本企業は「T字キャリア」が一般的で、いろいろなことを経験してから専門家になる人が多いのですが、海外の企業は逆に、専門家になってからゼネラリストになるのです。ですから「L字キャリア」と言います。
成清 そうですか。私はそのパターンです。
●「2010年プロジェクト」に参加
大上 成清さんは若い時、TOTOの未来を考える委員会の委員になったとお聞きしました。
成清 国際部門にいた頃です。今から13、4年くらい前でしょうか。当時の社長が「2010年の会社の姿を描きたい」と考え、「2010年にも在籍している社員を集めろ」ということになったのです。必然的に、課長クラス以下の者が各部門から一人ずつ、十数人集められました。私は当時、国際部門でしたので、国際の担当として参加し、そのメンバーで「2010年プロジェクト」を実施しました。週末、研修施設に缶詰になって皆で話し合い、最後に2010年のTOTOのあるべき姿を描いたのです。
大上 当時のメンバーが今、TOTOの経営幹部になっているのですか。
成清 そうですね。今年新たに社長になったのが、2010年プロジェクトのリーダーだった喜多村円です。また経営企画本部長も当時のメンバーです。昔は皆、課長クラスあるいはそれ以下でしたが、今や幹部の者がたくさんいます。
大上 すごいですね。やはり経営者が一人ひとりを見てピックアップしたのでしょうか。
成清 われわれは選ばれる方でしたから、誰がどのように集めたのかは全く聞かされていません。ですから定かではないのですが、今考えると、それなりに優秀なメンバーが集まっていました。
●法務、経理、総務系の仕事全般を担当できた
大上 14年間ニッチな安全衛生分野を人事部の片隅で担当してきて、国際部門に行って欲しいと言われ、そこで2010年プロジェクトのメンバーに選ばれたということは、実は人事部時代の14年間も、成清さんはずっと経営陣からチェックされていたのでしょうか。
成清 確かに主業務は安全衛生の専門家でしたが、弊社の規模だと、自然と人事企画業務全般を担...