●100万年かけて70種類の道具しか作らなかった人類
この図は、用途別の石器の種類がどのくらいあったかを、200万年ほどのスパンで見たものです。
石器としてはじめに出てくるのは「オルドワン」というモノです。単に石と石をぶっかいただけなので、専門家が見ないと本当に石器かどうかは分からず、これが1種類から5種類ほどしかない時期が、ずっと続いてきました。
200万年ぐらい前から出てきたのが「アシュレアン」です。用途別に5~10種類ぐらいになりましたが、50万年ほど前までは、これ以外に道具はありませんでした。やがて「ムステリアン」の時期になると、用途別に40種類ほどに分かれ、後期旧石器の時代に入ると、70種類ほどになります。
それにしても、とても少ないでしょう。違う用途に使うものを、別々の形や機能を持つ別のモノとして作ることに、これほどの時間がかかっているのです。100万年という時間をかけて、やっと10種類から70種類になっていったのです。
●産業革命以降ドッキングした科学と技術
もちろんこれは石器だけの例ですから、着るものや住まいなど、木でできていたりして形に残らない道具もたくさんあったでしょう。それにしても人類は長い間、およそ100種類程度のモノを使って、生きてきました。
やがて、そこに科学技術が結び付いていきます。しかし、前回お話ししたように、科学と技術は目的が違い、起源も違います。科学は「知りたかった」、技術は「便利なモノをつくりたかった」、その目的と欲求のおおもとも違うわけで、「知りたい」と思うことと、「何か作って、楽をしたい」というのは、全然違います。
それが結び付いたのは近代科学以降です。特に産業革命以後になると、科学で解明された原理や法則を利用すると、従来の試行錯誤とは違って、画期的な速度で技術革新ができることが分かってきました。また、産業革命以後の社会は強く経済発展を求めたため、イノベーションに対する要請もあったわけです。そこで、科学と技術は本当に一つに結び付いて、日本語などでは「science and technology」の「and」もなしに、「科学技術」の一語になってしまったわけです。
●人類史全体から見た「技術革新」の瞬間性
しかし、これは本当に最近のことです。600万年前から今までを一筋の時間軸にすると、20万年前にわれわれホモ・サピエンスが出てきました。その20万年の中で、農耕と牧畜は1万年前です。600万年の最後の20万年を20分の1に分けた最後です。
さらに、その1万年だけを拡大してみると、産業革命というたかだか100~150年前の出来事が起きるまでの間は、ほとんどが農業と牧畜だけの社会であり、古代エジプト文明に象徴される時代が続いていたわけです。
産業革命以降の100~150年をまた引き伸ばしてみると、第二次大戦後ぐらいになって電気や電話、家電製品、電車、飛行機、自動車、抗生物質などが一気に行き渡ります。そしてごく最近、この10~20年ぐらいの間にパソコン、携帯電話、インターネット、SNSの時代が始まりました。とうとうヒトは脳みその働きを代替してくれるような道具まで作るようになってしまったのです。
この流れを通してみると、もともとは生物としての脳みそを使いながら、停滞に近いぐらいゆっくりゆっくりやってきたのが、最後の100年、それも最後の何十年かにまとめて、あっという間にものすごいことをやってしまったということになります。
●科学が成功する理由、世界が分からなくなる理由
現状はそうなっていますが、科学はこの先も絶対に成功します。還元的な方法ですから、まず大きな問題を解ける問題に分割する。そこに仮説演繹と実験実証を重ねていく。こうすると、小問題は必ず解ける、つまり最適解が出てくるわけですから、どんどん先へ進んでいくことができます。
小さな問題や像をつくって分かるようにしようとするので、科学は必然的にコンパートメント化します。進めば進むほど全体を見られる人はいなくなり、自分の専門だけになります。おそらく、今の科学知識の全体像を分かっている人はいないと思います。
技術の方では、全体像がどうなっているかは誰も知らない科学の中から出てくる細かい知識を利用して、欲しいモノをどんどんつくっていく。それは、ある一つの問題に対する解決の欲望です。速く走りたいので、自動車をつくる。速く飛びたいので、飛行機をつくる。遠くの人とも話したいので、電話をつくるという具合です。
科学をもとにつくられた製品ですから、とても効率のいいものができます。しかし、そのような科学技術でできたものを実生活で全員が使うようになると、今度は別の問題が出てきます。私たちの脳みそには前頭葉の理性だけではなく、いろいろな欲望があるし、私たちにはいろいろな生活の場面もあ...