●余白とは、全てを描ききらずに隙を作ること
私が描く日本画の中で大切にしている言葉のうち、「余白」があります。これは日本画の中でよく使われる言葉で、例えば白い部分であるとか、絵が描かれていない部分というような意味を持つのですが、私は別の解釈を持ち込んでいます。この余白とは、実は絵が描かれている、描かれていないということと関係なく、見手の気持ちが絵の中にすっと吸い込まれていくとか、「これはどうしているのかなぁ」などと、見手が絵の中に一緒に参加していけるような余地があるかどうか、ということだと考えています。
もしくは、絵の中に「隙」があるかどうかということを、実は私は意識しています。隙のない真実を事細かく写し取ったもの、いわゆる写実的にいくと、どうしても余白の部分が無くなっていきます。情報で埋め尽くされていく、という感じですね。そうすると、見手は、絵かきが見たものを「そうだったんだ」というように強制的に見せられるということになり、それに共感できる人もいますが、なかなか共感できないということも、実は起こるのです。私の考えている余白とは、絵の中に隙を作るということです。隙を作り、その中に人の気持ちがすっと寄り添えるような余白を作ることを意識しています。
では、どうやって余白を作るのかということですが、「全てを描ききらない」ということを気をつけています。10割我を通せば非常に力強い作品になるということは百も承知ですが、私は大体6割ぐらいを目指しています。あとの4割は見手の皆さんの経験と私の絵の中に描かれているものが、頭の中ですっとつながることで、6割の表現が8割、9割、もしくは10割に到達していく。その行為が、日本画で今まで大切にしてきた余白のあり方ではないかと思っています。
●タイトルも重要な要素
この作品を見てください。真ん中に墨で何やらぼんやりとした形がどんとある。真ん中にすっと一本の線が引いてある。その線の上に、ちょん、ちょん、ちょんと丸い粒が配置されている。画面にはそれだけしか描かれていません。それ以外のところは白くほったらかしです。一見すると、何か抽象絵画のように思えますが、タイトルにヒントがあります。絵かきが使える言い訳の一つとして、タイトルがあります。絵で説明するということではなく、タイトルでヒントを与えていくということも、私は大切にしてい...