●仏像においても、具象と抽象が共存している
仏像においても、具象と抽象が共存しているさまを、例で示します。
京都高雄山の神護寺の本尊「薬師如来立像」は日本の仏像の中でもとりわけ魅力的な彫刻ですが、その魅力も具象と抽象の共存にあります。
像のいくつかの部分を見るならば、人間らしい肉体の現実感は確かに再現されています。眼窩(がんか)のくぼみも、細く見開かれた眼球の盛り上がりも、がっしりした鼻の形も、厳しく結ばれた口元も、きわめて巧みな、のみさばきによって形作られています。頬のふくらみも大腿部のはち切れるような充実感も、曲面が的確に示しています。しかし、それなりにリアルに彫り出された顔貌は、非人間的な要素、強調された仏の相(そう)と隣り合うことで、互いの異質さを際立たせています。仏の相とは、通例よりもかなり大きく隆起するように作られた頭のてっぺんの盛り上がりと、大ぶりの螺髪(らほつ)です。
唐招提寺旧講堂の「伝薬師如来像」と比較してみましょう。旧講堂の木彫像は、唐から奈良の都へと渡った鑑真がもたらした新しい様式を示すもので、日本の木彫像の発達に大きな影響を与えました。神護寺の像もまたその影響圏内にあるのは明瞭です。しかし、多くの類似点を持ちながらも、神護寺の像は、唐招提寺の像とは決定的に異なる造形に達しています。
例えば、股間に繰り返されるアルファベットのUの字の形をした衣文は、唐招提寺の像などに近い表現が見られるものです。唐招提寺像の衣文は、もともと中国の8世紀半ばの仏像で用いられた型に由来します。衣がその重みで垂れ下がっているのを写した、写実の痕跡をとどめているといえます。それに対して、神護寺像の衣文は、ずっと抽象的な形の繰り返しとして整えられています。
縦方向に刻まれた衣文にも注目しましょう。唐招提寺の像の衣紋は、衣が両脚に沿って肉体に密着しながら生じるしわを表していますが、それに比べて、神護寺像の衣文は、もはやそのような自然らしさ、合理性を払拭しています。
●互いに反発する複数の要素の併存が、像全体に一貫している
今度は、やはり唐招提寺旧講堂の木彫群のうち、「如来形立(ぎょうりゅう)像」と比較してみます。神護寺の縦方向に走る衣文の形は、ここに認められますが、こちらではその衣文がかろうじて太腿のボリュームの表現と一体になっていま...