●俵屋宗達が対角線構図を採用した
別の例を挙げましょう。京都の金地院に伝わる南宋時代の中国絵画、13世紀の「秋冬山水図」です。これも画面の枠を意識した構成を持っています。秋では右上から左下、冬では左上から右下という画面の対角線を想定し、下の方の三角形の領域に人物のいる近景を密集させ、上の方の三角形の領域にはあまり物が描かれない空間として遠景を描きます。明らかに、画面の枠が画面内部の空間構成に影響しています。日本絵画は、南宋絵画のこういう対角線構図を変容します。
最初に紹介した『日本美術の見方』という本で、戸田禎佑氏(東洋美術史家で東京大学名誉教授)は、17世紀初めの俵屋宗達が南宋絵画の余白の意義を理解し、対角線構図を採用したと早くに説いていました。
宗達は、画面がほぼ正方形になる二曲屏風、二枚折りの屏風という形式を得意にしました。2つの正方形が横に並ぶ二曲屏風1双という形式は、画面の枠を鑑賞者に強く意識させます。宗達が「風神雷神図」を描いたころまでには、中国絵画の対角線構図は日本絵画にも十分普及していましたから、画家も鑑賞者もそれに従って画面を作り、画面を見ることに慣れていたでしょう。
●枠を強く意識させることで、枠を超えるものの効果が生きる
右隻は右上から左下、左隻は左上から右下、それぞれ対角線によって2つの三角形に分割できる画面です。近くにいるのは風神と雷神であり、遠くにあるのは金箔の貼られた空だと、鑑賞者は画面を読みます。近くのものは下の三角形にあり、遠くのものは上の三角形にあるのだと。一方、風神と雷神は上の隅に寄っているので、右隻は左上から右下、左隻は右上から左下、という反対側の対角線で画面を2つの三角形に分割することもできそうです。「風神雷神図」が私たちにもたらす不可思議な感覚は、ひとつにはこの構成に由来します。
いずれの場合でも、本当は遠く、天空の高みにいるはずの風神と雷神が、鑑賞者に近い位置にいることになってしまうのです。私たちは、風神と雷神のすぐそばにいて、彼らとともに空中に浮遊しているように感じます。風神と雷神が乗る雲の下には、はるかな天空が広がります。それも私たちの近くから、想像上の私たちの足下から遠くへとずっと空が続いていることになります。さらに、風神の裳と雷神の太鼓が画面の上端からはみ出すことで、空はずっと画面の外にまで続いていることが示されます。画面の枠を強く意識させる形式であるからこそ、その枠を超えるものの効果はいっそう生きてくるのです。
つまりこの画は、画面の枠が空間構成を規制する対角線構図を踏まえると同時に、その対角線をひっくり返した構図という大胆な変奏も含み、さらに枠をはみ出すモチーフを加えて枠を無効にしてみせる、ということまでやってのけるのです。宗達の画を模写した尾形光琳は、こういう宗達の構成の本質を理解できませんでした。風神と雷神は画面の枠の中に収まり、ただ中途半端な位置にとどまっています。
●目と手の両方の力を奪い、娼婦の無力と虚無感を暴き出す
画面の枠が切り取るもの。この話題の最後に取り上げるのは喜多川歌麿の美人画です。歌麿は、美人の上半身を拡大して描く形式を創始しました。この形式では描く範囲が限定されるため、顔、特に眼と手の造作が重要になることを知っていました。
「浮気の相」も女の眼と手は、実に生き生きとした表情としぐさを写し出します。恋多き女が、風呂の帰りに好みの男に眼を留めたところでしょうか。その表情も、たるんだ手拭いをつかむ指の動きも、実に的確に描写されています。そして、歌麿は、<眼>と<手>の描写がいかに重要かを知り抜いていたからこそ、逆転の発想もしました。
「てっぽう」というのは吉原の遊女の中でも最下級の遊女です。この図で印象深いのは、女の腕が画面の枠で切り取られていることです。身体のうち、手はその人の世界に対する働きかけの意思を、最も如実に反映する器官です。「浮気の相」がそうであったように、手は雄弁に女たちの意識と行動を語るのが普通です。ところが「てっぽう」だけは腕が描かれません。彼女はまるで両腕を切り取られた者のようにここに置かれ、乳房をむき出しにされています。それによって彼女の無力が――彼女が自分の意思とは無関係に肉体を使用される、完全に受身の存在であることが、強調されるのです。
眼の描写にも注目しましょう。普通は黒目には濃い墨を用います。「浮気の相」でもそうでした。「てっぽう」では瞳は薄い墨で表されています。この抑えた墨の調子が「てっぽう」の虚無的な表情を作る重要な要素になっています。何を見ているのかわからない、何も見ていないようなうつろな眼は、この灰色の調子によって作られています。
こうして、半身像における強力な表...