●「彦根屏風」は水墨の山水図屏風を画中画として描く
画面の枠についても、ほかに面白い問題はいろいろ日本美術の中にあります。雪舟が16世紀初めに「天橋立図」を描いたとき、最初は左上のような画を構想し、次にこの画に左側と下側の部分を付け加えて、現在見る右下のような画に変更したことが指摘されています。この場合、枠が拡大しているわけです。
枠の中にもう一つ別の枠がある画中画は、ヨーロッパや中国の絵画とも共通する現象として議論できるでしょう。「彦根屏風」は17世紀初めのダブル・スクリーン、屏風の中の屏風の例です。「彦根屏風」は、古風な様式で描かれた水墨の山水図屏風を画中画として描くことで、画の中に2つの領域を作り出します。画中画に表される理想の過去と、そこから遠く離れた屏風の外の現在とを対比するようにしつらえ、倦怠と寂しさに満ちた遊楽の情景を繰り広げます。
19世紀初めには、浦上玉堂という優れた山水画家が、自分で小さな枠を画面の中にいくつか作って、その中に山水を描くことを試みました。この場合は、枠の形が山水の景観の描写に影響を与えるような相互作用がありそうです。
●現代の漫画においてもコマを超越する表現は頻出する
画面の枠をはみ出すモチーフは、まだずっと生き続けます。葛飾北齋の読本挿絵でも、しばしば効果を発揮します。曲亭馬琴らの読本のために多数描いた挿絵は、北齋の仕事のうち最も重要なものの一つです。これは馬琴の『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』の1図です。ここでは讃岐に配流となっていた崇徳院が、自ら魔王に変じて空高く飛び上がっています。天狗の顔をした崇徳院の髪が画面の枠をはみ出している表現が、またしても日常を超越した変異であることを強調するのです。
現代の漫画においてもコマを超越する表現は頻出し、いくつもの例を挙げることができるのですが、そういうのとは別の例をここには示しました。ここでは、この『オーパス』という漫画の主人公である娘が、原稿の中からこの漫画を描いている漫画家のいる現実に抜け出して来ているのです。ギリシャ神話のピュグマリオンといいますと、キプロス島の王です。彼は自分の造った彫刻の女性に恋をし、ついには女神の力で生命を与えられた像を妻とした、という男性ですが、『オーパス』はまさに現代のピュグマリオンといってもいい物語です。
●矛盾を共存させる柔軟性と構成意識の高さが、日本美術の魅力だ
日本美術の特色として最初に、具象的なものと抽象的なものとの間に境目がないことを述べました。次に、画面の枠で対象を切り取る効果について意識的だと述べました。つまり、内側には境目がなく、外側には枠があるというわけです。その両方の特徴を兼ね備えた伊藤若冲の絵画を見ながら、ごく短い結論を述べます。これらの性格を持つ美術が志向するのは、何かしらきれいに整えられた平面あるいは立体を作ることです。それは、自然や人間の本当の姿を徹底的に再現しようとはしません。
日本の美術には確かに現代人をも感心させる写実性がありますが、本当らしさは、いつも部分的にとどまります。具象的な描写とは異なる抽象的なモードの造形が同じ空間を占めていて、まるでただ一つの見方でこの世界を把握するのは無理だと告げているようです。そして、枠の中に切り取られた世界にだけ関心を集中し、その内部を美しく仕上げるのです。
この曖昧さと洗練は、ヨーロッパや中国の美術とは違う日本美術の派生的な性格に由来します。どこかよそに源流があって、そこから派生してできたという性格です。それはつまり、偉大な教師たちに学ぶ生徒という立場をずっと免れなかった、そんな文化の産物です。しかし、積極的に評価するならば、この矛盾した要素を共存させる柔軟性と構成意識の高さこそが、日本美術の魅力であって、また現代のさまざまな造形を作り出す力にもなっているといえるでしょう。