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尾形光琳「紅白梅図屏風」は複雑な人間的感情さえ表現する

日本美術論~境界の不在、枠の存在(3)光琳「紅白梅図」

佐藤康宏
東京大学名誉教授
情報・テキスト
尾形光琳「紅白梅図」
東京大学大学院人文社会系研究科教授の佐藤康宏氏が、日本の絵画に見られる具象と抽象の共存について解説する。「日月山水図」や尾形光琳の「紅白梅図」は、具象的な自然描写と同時に、抽象的な文様や金銀箔による装飾技法を用いることで、複雑な人間的感情を表し、官能に訴える怪しい魅力を放っている。(全6話中第3話)
時間:11:28
収録日:2017/08/02
追加日:2018/02/10
カテゴリー:
≪全文≫

●日本の絵画は具象的なものと抽象的なものを共存させる


 次に15世紀から18世紀の絵画の例を、数点挙げましょう。また、ヨーロッパと中国の絵画で、16世紀前半の作例を1点ずつ出しておきます。これらでは、一つの画面の主要部分は、一種類の具象的なモードで描かれています。どのように具象的であるかというレヴェルはお互い異なりますし、ほかの例を加えればさらにさまざまに異なりますが、ともかくその具象的なモードと決定的に異なる抽象的な造形を、画面空間に招き入れようとはしません。

 日本の絵画は、一つの画面空間の中に、具象的なものと抽象的なものを共存させます。15世紀後半か16世紀前半の作、大阪河内長野の金剛寺に伝わる「日月山水図」です。屏風は普通、1双、ワンペアという単位で作られます。いま向かって右側を右隻、左側を左隻と呼びます。右隻でも左隻でも、山の形は大胆に単純化されています。現実の山というよりも山はこんな形をしているのだという概念的、抽象的な山です。その山から独立して、松の木の1本1本が、わりあいに具象的に描かれます。

 右隻の部分です。波はというと、具象と抽象との混合物です。水面の揺れや波紋は概念的な線でかたどられていますが、意外に本当の波のような実感があります。波頭は銀泥、銀をすりつぶしてペースト状にした絵具を盛り上げて、一瞬の運動を永遠にとどめるかのような不定形の形に固定します。


●自然らしいものとそうでないものとが、隣り合って並べられる


 さらに、この屏風では、自然描写をする一方で、金属片を画面に貼り付けるという手法を用います。金や銀をたたいて紙のように薄く延ばし、箔(はく)と呼ばれる素材にします。空の部分に、金箔を貼りつけて太陽、銀箔を貼りつけて月を表すほか、金銀の切箔(きりはく)などを散らします。画の中の空間に自然のイリュージョンを作ろうとする絵画に対して、それと背反するような表現を用いるのです。

 特に切箔を散らすのは、料紙の装飾に用いられていた技法です。料紙、つまりそこに書を書き、あるいは絵を描くための紙の下地作りであって、装飾それ自体が空の表現に使われるのは不自然です。雲や霞を本当らしく表わそうとするなら、絵画の技法の方が適しています。そうではなくて、さまざまな形と大きさに切られて散らばる、金銀の箔片の輝きそのものの美しさに価値を置き、この風景の描写の中に共存することを許すのです。

 自然らしいものと、そうでないものとが、すぐに隣り合って並べられ、あるいは両者が分離できないようなかたちで提示されています。そういう造形のありように違和感を覚えさせないのが、日本美術の一つの特徴といえるでしょう。この屏風も、自然描写の理屈を超えたところで、不思議な生命感に満ちた、実に魅力的な絵画になっています。


●「紅白梅図」は複雑な人間的感情までも表現する


 具象的なものと抽象的なものの共存。尾形光琳の「紅白梅図」はその典型です。この画面の中で、梅は相対的に自然らしい姿で表されています。紅梅と白梅の幹や太い枝には質感と量感が与えられ、鋭い描線で描かれた梅の花のおしべ・めしべに至るまで、自然の姿を巧みに捉えています。

 それに対して、2本の梅の間を流れる水流は、大胆に意匠化されています。その波の造形は、自然の波紋に基づきながらも、ほとんど完全な模様になっています。そして、これら以外の画面は、すべて金箔で覆い尽くされた、さらに抽象的な空間です。具象的な梅の樹と抽象的な水流、そしてさらに抽象的な金地とが巧みに構成され、3者の対比が、自然の形象を超えた複雑な人間的感情までも表現しているようです。この重くよどんだ水の形は、ただ抽象的なのではなくて、官能に訴える妖しい力を潜めていないでしょうか。


●梅と水流の組み合わせが持つエロティックな意味


 『枕屏風(まくらびょうぶ)』という寛文9年(1669年)に出版された枕絵本があります。菱川師宣に先立つ、名前を残さなかった優れた挿絵画家によって描かれたと考えられる、枕絵本の傑作の一つですが、稀覯(きこう)本です。2016年、千葉市美術館が開催した素晴らしい初期浮世絵の特別展で、一部が展示されました。この図は古い本からの複写です。

 『枕屏風』には、屋外で、梅の咲く渓流の近くで交わる男女を描く図が含まれます。その渓流の水紋は、「紅白梅図」の水流と非常に近いデザインで表されています。梅とその水流の組み合わせが持つエロティックな意味を、光琳は「紅白梅図」に持ち込んだと私は想像しています。

 老成した白梅を男性、艶麗な紅梅を女性と見立て、その間を流れる水流によって両者の交わりを暗示する、そんな構成になっているのではないでしょうか。「紅白梅図」は大名の津軽家に伝来した屏風で、津軽家の婚礼調度として制作...
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