●ブランドの民主化もプラザ合意の結果の一つである
質問 先生は『オンリー・イエスタデイ』という大著を執筆されているそうですが、どのぐらいまで書かれたでしょうか。
白石 実はあまり進んでいません。基本的なストーリーはこうです。アメリカのマクロ経済の失敗のつけがプラザ合意であり、アメリカの企業がやむなくアジアに進出せざるを得なくなった結果、アジアが工業化しました。これは皆さんよくご存じの単純なストーリーです。
他方、同時にブランドの民主化という話も書きました。例えば、ルイ・ヴィトン1980年代になって初めて海外支店を持つようになりました。それまではフランスのパリとニースに1軒ずつぐらいしか店がなかったのです。日本の観光客がたくさん押し寄せて困っていました。それを解消するべく動いた人が、後にルイ・ヴィトンの日本支社の社長になります。一時は日本でのルイ・ヴィトンの売り上げは、本社をはるかに上回るまでになったのです。こうしたプロセスによって、ブランドの民主化が起きました。
アメリカでは、ルイ・ヴィトンは買わない人がとても多いのです。ヨーロッパでは貴族しか買いません。ところが日本では若い人も皆ルイ・ヴィトンを持っています。日本でこうした現象が始まって、例えばブランドストリートができると、今度はそれが東南アジアや中国に広がっていきました。こうした現象もある意味では、プラザ合意以降の一つの結果です。もちろん国内的にはバブルが起きました。プラザ合意以降のこうした様々なことを、全てサーベイしたのです。
●アメリカの大戦略の転換をレーガン政権から見直す
白石 『オンリー・イエスタデイ』の基軸となるストーリーの2つ目は、ジオポリティックス(地政学)です。ロナルド・レーガン政権からビル・クリントン政権の頃、つまり冷戦が終わる頃まで、アメリカの大きい戦略がどのように展開していったのかを議論しています。ある意味では簡単な話で、要するに共産主義を封じ込める戦略がなくなっていったのです。
冷戦が終わるタイミングで湾岸戦争が起きました。これが大きな影響を持ち、以後アメリカの軍事費はあまり減っていません。「平和な配当」ということが言われましたが、ほとんど軍事費は減っておらず、冷戦が終わってむしろ浮くはずだったお金が、今度は中東戦略につぎ込まれているのです。結局、気が付いてみたら...