●成長によって肥大化した、中国の国家意識
中国は、あれだけの大きい規模を持つ国ですし、それから過去10年間を見ても本当に1.5倍ほど生活水準が上がっています。そうやって、非常に期待が膨らんでいる中で、習近平政権は「ニュー・ノーマル」、新状態と言いながら、中国国民の期待を抑えつつ、できる限り経済成長を続けるといいます。
ですが、中国は、歴史もあり、かつてはアジアの盟主だったという意識もあります。どんどんどんどん大国になってくると、当然のことながら、「周りの国はうちの言うことを聞いて当然だ」という意識が出てきます。それも一種のナショナリズムです。私はそれが決して健全なナショナリズムだとは思いませんし、健全か不健全かを議論してもしょうがないでしょう。しかし、現にそういうことが起こっているのは間違いありません。このコンビネーションがかなり深刻です。
何か大きい転換があるとしたら、来年(2017年)の党大会の後でしょう。習近平が非常に強いリーダーとして思い通りの人事をやり、それで2期目に入っていく。そのとき、かなり開明的な戦略的決定を行えば、かなり雰囲気は良くなるでしょう。しかしそうではなく今の方向で行くと、当分は相当難しいということも覚悟してやるしかない、という気がしています。
客観的にいえば、これは単に経済の規模ではなく科学技術の水準やテクノロジー・インテンシブな産業レベルなどの問題もありますが、経済的な側面から考えると、中国が世界経済の先頭に立つということは、とてもではないですが考えられません。また中国が持っている、世界秩序についての考え方がすんなりと受け入れられるとも思いません。
軍事的にも、おそらく10年ほどたって2020年代の半ばに入ると、アメリカの国防予算、軍事費の3分の2ぐらいのところまで来ると思います。ただ、それはあくまでお金の話です。実際の軍事力、あるいはアメリカでいわれている「軍事の革命」に対抗できるような軍事力とそのためのシステムをつくれるかというと、それについても私はそうは思いません。
やや肥大化した、国としての期待の上に国家戦略を組み立てているのではないでしょうか。それに気が付かないと、だんだんといろいろなところで無理が生じ、どこかで社会が劇的に破綻するのか、あるいは徐々に衰退していくのか、どちらになるかは分かりませんが、振り返って...