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竹下登政権が短命に終わってアメリカは「当てが外れた」

アジア政治経済の過去と現在(6)90年代日本の栄光と迷走

白石隆
公立大学法人熊本県立大学 第3代理事長
概要・テキスト
宮澤喜一大蔵大臣とアメリカ合衆国財務長官のロバート・ルービン氏(1999年)
日米の安全保障関係において、1990年代は大きな転換期だった。当初描かれていたアジア地域の先導者としての日本の位置は、不良債権処理に象徴される「失われた20年」によって困難になった。政策研究大学院大学学長・白石隆氏によれば、その不良債権処理に苦しめられた竹下・宮澤政権の短命さのインパクトは大きいという。日本、そしてアジア情勢の展望はいかにして開けるのか。(全6話中第6話)
時間:12:47
収録日:2016/09/20
追加日:2016/12/11
タグ:
≪全文≫

●日本経済の迷走が、日米関係強化を難しくした


 (アメリカは、)クリントン政権時代、行ったことのいくつかが効いていると思います。一つはやはり財政再建です。ビル・クリントン氏は1993年に大統領になって、財政再建を最初に決めたのですね。ロバート・ルービン氏などが書いているように、これが非常に良いシグナルになり、ルービン氏とアラン・グリーンスパン氏の協調体制ができ、その状態で8年やりました。

 もう一つは、それまで冷戦時代につくっていたさまざまな科学技術を、基本的に民生用として使えるようにしました。これが非常に効果があったということなのでしょう。

 今そういうことに少し関心があってずっと調べていますが、実際問題として、日本は90年代の半ばに1人当たりの国民所得でいうとピークアウトしています。アメリカと日本の経済の規模が一番近くなるのもその頃です。しかし、1998年以降になると中国が出てきて、2006年頃からは中国の方が日本よりも経常収支の黒が大きくなっていきました。明らかに、1980年代から90年代の末までは日本がアメリカの経常収支の赤を埋め合わせしていましたが、7~8年の移行期をおいて、中国がそれをやるようになってきました。そういう動きがあります。

 クリントン政権はそのちょうど最後の時期に当たり、アメリカが日本にまだかなり頼っていた時代です。そのあたり、私は必ずしもルービン氏の見方が正しいとは思っていません。覚えているでしょうか。(1996年に)クリントン・橋本合意(クリントン大統領と橋本龍太郎総理の間で交わされた日米安保共同宣言)があり、それで日米安保の再定義があって、(その前には)日米グローバル・パートナーシップがありました。これで大体冷戦が終わった後の日米関係における、一種の漂流状態に終止符を打ちました。ここから新しい日米関係が始まります。

 外交安全保障では確かにその通りですが、その後、実は迷走します。なぜ迷走するのかというと、結局金融危機などで日本の中も危なくなったからです。それから東アジア経済危機がありました。その中でルービン氏などは「日本も偉そうなことを言っているが、日本の金融市場はめちゃくちゃではないか。さっさと損切りして改革しないと駄目だ」と言って、もう天から馬鹿にし始めます。彼はむしろ朱鎔基氏とすごく親しくなり、「中国はしっかりやっているが、日本は駄目だ...
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