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世界の大変動はレーガン政権の頃から始まった

『オンリー・イエスタデイ』のエッセンス(前編)

白石隆
公立大学法人熊本県立大学 理事長
情報・テキスト
レーガンと最後の閣僚(1989年1月11日)
立命館大学特別招聘教授でジェトロ・アジア経済研究所長の白石隆氏は、レーガン政権以降の世界情勢を、アメリカ・日本・アジアの視点から書き継いでいる。執筆中の『オンリー・イエスタデイ』のエッセンスを2回にわたり語っていく。(全2話中第1話)
時間:06:52
収録日:2017/11/24
追加日:2018/03/16
カテゴリー:
≪全文≫

●ブランドの民主化もプラザ合意の結果の一つである


質問 先生は『オンリー・イエスタデイ』という大著を執筆されているそうですが、どのぐらいまで書かれたでしょうか。

白石 実はあまり進んでいません。基本的なストーリーはこうです。アメリカのマクロ経済の失敗のつけがプラザ合意であり、アメリカの企業がやむなくアジアに進出せざるを得なくなった結果、アジアが工業化しました。これは皆さんよくご存じの単純なストーリーです。

 他方、同時にブランドの民主化という話も書きました。例えば、ルイ・ヴィトン1980年代になって初めて海外支店を持つようになりました。それまではフランスのパリとニースに1軒ずつぐらいしか店がなかったのです。日本の観光客がたくさん押し寄せて困っていました。それを解消するべく動いた人が、後にルイ・ヴィトンの日本支社の社長になります。一時は日本でのルイ・ヴィトンの売り上げは、本社をはるかに上回るまでになったのです。こうしたプロセスによって、ブランドの民主化が起きました。

 アメリカでは、ルイ・ヴィトンは買わない人がとても多いのです。ヨーロッパでは貴族しか買いません。ところが日本では若い人も皆ルイ・ヴィトンを持っています。日本でこうした現象が始まって、例えばブランドストリートができると、今度はそれが東南アジアや中国に広がっていきました。こうした現象もある意味では、プラザ合意以降の一つの結果です。もちろん国内的にはバブルが起きました。プラザ合意以降のこうした様々なことを、全てサーベイしたのです。


●アメリカの大戦略の転換をレーガン政権から見直す


白石 『オンリー・イエスタデイ』の基軸となるストーリーの2つ目は、ジオポリティックス(地政学)です。ロナルド・レーガン政権からビル・クリントン政権の頃、つまり冷戦が終わる頃まで、アメリカの大きい戦略がどのように展開していったのかを議論しています。ある意味では簡単な話で、要するに共産主義を封じ込める戦略がなくなっていったのです。

 冷戦が終わるタイミングで湾岸戦争が起きました。これが大きな影響を持ち、以後アメリカの軍事費はあまり減っていません。「平和な配当」ということが言われましたが、ほとんど軍事費は減っておらず、冷戦が終わってむしろ浮くはずだったお金が、今度は中東戦略につぎ込まれているのです。結局、気が付いてみたらアメリカは30年間も、中東で戦争をしてきました。

 冷戦が終わると同時に封じ込め戦略も終わりになりますが、それは超大国アメリカの到来を意味しました。アメリカの政治家ポール・ウォルフォウィッツ氏が言っているように、他の国が挑戦しようなどとは思わないくらいの強大な軍事力を維持してきたのです。これが2008年ぐらいまで続いた後、中国が今それに挑戦し始めています。

 また、レーガン政権の頃には、国境を越えた資本移動の自由化と通商自由化も始まりました。今に至るまでほぼ30年間続いてきたことですが、気が付いてみると、アメリカでもヨーロッパでも中の下以下の人たちの所得はほとんど伸びていません。それが今の反グローバリズムにつながり、ひいてはドナルド・トランプ大統領の登場にもつながっていくわけです。この意味では、アメリカのジオポリティックスや大戦略の転換を、ちょうどトランプ氏が出てきた頃から見直してみようと思っています。現在の大変動の原因は、やはり第2期レーガン政権の頃から始まっているのです。


●竹下首相の失脚はアメリカにとって非常に大きな誤算だった


白石 これはアメリカから見た歴史ですが、同時期に日本はどうだったのかということについても書いています。日本にとってもアメリカにとっても一番の誤算だったのは、竹下政権が2年も持たなかったということです。

 それまで第2期レーガン政権の財務長官ジェイムズ・ベイカー氏は、竹下登首相と手を組んで、日米で協調していこうという算段でした。ところが竹下首相がああいう形で失脚したというか、政権を放り投げたということは、アメリカにとっても非常に大きな誤算だったでしょう。その後、湾岸危機で迷走し、宮澤喜一首相も出てきましたが、結局は政党再編成に注力します。90年代に橋本龍太郎首相が出てくるまで、日本は迷走し続けました。

 アメリカの外務省と国防省、とりわけウィアム・ペリー元国防長官やジョセフ・ナイ元国防次官補らは、こうした日本の事情を非常によく理解しており、できる限りうまくコントロールしようとしました。ただし、クリントン元大統領にしてみれば、日本は頼りにならないという評価にならざるを得なかったでしょう。

 竹下首相の失脚後も、竹下政権復活の可能性がまだささやかれていたわけです。それが実現していれば、だいぶ違ったかもしれないという気はします。この辺りまでは...
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