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デカルト:「我思うゆえに我あり」に込められた意味

西洋哲学史の10人~哲学入門(5)デカルト「我思うゆえに我あり」

貫成人
専修大学文学部教授
概要・テキスト
ルネ・デカルト
近世の哲学者デカルトは、教会の権威が動揺していった同時代の状況の中で、疑いの余地がない確実なものとは何かを問題にし、その結果「我思うゆえに我あり」というフレーズに帰着する。専修大学文学部教授の貫成人氏は、この発想が証拠を重要視する現代社会の原則につながっていると指摘する。(全10話中第5話)
時間:11:40
収録日:2018/02/09
追加日:2018/05/25
カテゴリー:
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≪全文≫

●生きる上での問題と格闘し、現代哲学の基礎を作ったデカルト


 5回目です。いよいよ近世に入ります。本日はデカルトの話をします。

 デカルトは現在、私たちが知っているような哲学を初めてつくり上げた人物といわれています。また、哲学という狭い世界を超えて、私たちが生きている現代の社会の原理原則や基礎を確立した人物であるともいえます。

 デカルトは16世紀から17世紀、日本でいえば江戸時代が始まった頃に活動していた人物です。フランスの中部の裁判官をやっていた人の家に生まれました。つまり、当時としてはかなり位の高い家柄であったということです。したがって、当時の非常に優れた教育を受け、ヨーロッパで一番有名なキリスト教の名門の高校で学びます。

 ところが、彼が生きていた時代はちょうど天文学上の発見、つまりコペルニクスやガリレオ・ガリレイ等の人物によって、いわゆる天動説から地動説が主張されるようになるなど、さまざまなことが発見される時代でありました。天動説は、実はキリスト教界の教義であったので、そのような科学である天文学の発見が出てくると、キリスト教界や聖書の権威そのものが揺らいでしまいます。これは、キリスト教界はもとよりヨーロッパの世界において、まさに驚天動地で本当に天災としか言いようがないことでした。そのため、この時代は非常に危機的な時代でした。

 デカルトは科学のことも勉強しており、何より彼自身がキリスト教の学校で子どもの頃から育てられたので、彼自身の中で非常に大きな矛盾を、背負い込んでしまいました。つまり、自分がこれまで信じていたキリスト教哲学は何なのか、あるいは科学は何なのかということが問題になっていきました。彼自身が生きる上での問題です。

 彼の著作は『方法序説』『哲学の原理』などがありますが、いずれも今申したような彼自身の人生、存在を賭けた危機感から出発して哲学が始められています。


●人生を賭けた危機感から生まれた「我思うゆえに我あり」


 その結果として導かれるのが、「我思うゆえに我あり」というフレーズです。「我思うゆえに我あり」はただ漠然と何か思っているということではなく、原語では、「私は考えている、それゆえ私は存在している。考えているということがゆえに自分の存在なのだ」という意味です。

 一体なぜこのようなことをデカルトは言うことになった...
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