●生きる上での問題と格闘し、現代哲学の基礎を作ったデカルト
5回目です。いよいよ近世に入ります。本日はデカルトの話をします。
デカルトは現在、私たちが知っているような哲学を初めてつくり上げた人物といわれています。また、哲学という狭い世界を超えて、私たちが生きている現代の社会の原理原則や基礎を確立した人物であるともいえます。
デカルトは16世紀から17世紀、日本でいえば江戸時代が始まった頃に活動していた人物です。フランスの中部の裁判官をやっていた人の家に生まれました。つまり、当時としてはかなり位の高い家柄であったということです。したがって、当時の非常に優れた教育を受け、ヨーロッパで一番有名なキリスト教の名門の高校で学びます。
ところが、彼が生きていた時代はちょうど天文学上の発見、つまりコペルニクスやガリレオ・ガリレイ等の人物によって、いわゆる天動説から地動説が主張されるようになるなど、さまざまなことが発見される時代でありました。天動説は、実はキリスト教界の教義であったので、そのような科学である天文学の発見が出てくると、キリスト教界や聖書の権威そのものが揺らいでしまいます。これは、キリスト教界はもとよりヨーロッパの世界において、まさに驚天動地で本当に天災としか言いようがないことでした。そのため、この時代は非常に危機的な時代でした。
デカルトは科学のことも勉強しており、何より彼自身がキリスト教の学校で子どもの頃から育てられたので、彼自身の中で非常に大きな矛盾を、背負い込んでしまいました。つまり、自分がこれまで信じていたキリスト教や哲学は何なのか、あるいは科学は何なのかということが問題になっていきました。彼自身が生きる上での問題です。
彼の著作は『方法序説』『哲学の原理』などがありますが、いずれも今申したような彼自身の人生、存在を賭けた危機感から出発して哲学が始められています。
●人生を賭けた危機感から生まれた「我思うゆえに我あり」
その結果として導かれるのが、「我思うゆえに我あり」というフレーズです。「我思うゆえに我あり」はただ漠然と何か思っているということではなく、原語では、「私は考えている、それゆえ私は存在している。考えているということがゆえに自分の存在なのだ」という意味です。
一体なぜこのようなことをデカルトは言うことになったのか、これは何を意味しているのか、これが分かると一体どのような良いことがあるのかということをお話しします。
●教会の権威の動揺によって大問題となる、「絶対に確実なもの」
先ほど申したように、彼の哲学の出発点は、教会の権威が動揺したということです。これは彼自身が幼い頃から確実だと思っており、唯一の真理だと思っていたものが実は確実ではないかもしれないということです。不確実かもしれないという、いわば疑念です。それではそれに代わって何を信じればいいのかという際、科学も即座に飛び付けるほど当てになるのか全く分かりません。
そこで、そもそも絶対確実なものはあるのだろうか、確実なものとして一体何を考えればいいのか、何をよりどころにすればいいのか、何を自分が考え生きていく上でよりどころや土台にすればよいのか、ということが彼にとっては大問題になりました。
●新聞やテレビ、本などは疑いの余地がある
先ほど、教会の権威が不確実になり、疑わしくなったことを申しました。それでは逆に、確実なものとは何なのかというと、そうした疑いの余地がないものです。しかし、そもそも私たちの生きている身の回りや知識の中に、全く疑いの余地のないものはどのくらいあるのでしょうか。
現代の私たちでいえば、例えば新聞に書いてあることやテレビに出ていること、学校の教科書に書いてあること、広辞苑に出ていること等は、疑いの余地がないとみなされています。しかし、本当に疑いの余地がないかというと、そうは言えません。新聞も嘘をつくかもしれませんし、教科書にも間違いは書いてあるかもしれません。ですから、本で読んだりしたものは全部大体駄目なのです。歴史や理科等は全部疑いの余地があることになってしまいます。
●目に見えるものも「夢かも」という疑いの余地がある
それでは、人から聞いたことや本で読むものではなく、目に見えるものはどうでしょうか。今皆さんの前にはパソコンのモニターや机が目に見えて存在します。ご自身の体がそこで椅子に座っています。あるいは、これまでの皆さまの経歴や生まれたときから現在に至る履歴というものが当然ありますが、それらは果たして本当に疑いの余地ないものなのでしょうか。余地がないとはいえません。どうしてかというと、そうした全ては夢かもしれないからです。
もちろん、私たちはいつも夢を見ますし...