●ルソーはフランス革命直前の混乱した時期に登場した
第6回目はルソーです。ルソーは「自然に還れ」というフレーズで非常に有名な人ですが、その考えの核心はどのようなことだったのかというのが、今日のお話です。
ルソーが生きていたのは、デカルトが生きていた時代よりもさらに100年ぐらい後の18世紀です。特にルソーはジュネーブで生まれた人ですので、フランス語を使っていましたが、18世紀フランスでは大変なことが起こっていました。すなわち、フランス革命が始まる直前で、非常に世間が騒がしい時代でした。
その時代に、ルソーは非常にさまざまな分野で業績を残しています。『エミール』は、そういう名前の少年を育てるという、いわば教育論ですし、これからお話しする『社会契約論』は政治哲学です。それどころか、今私たちが「むすんでひらいて」という名前で知っているあの曲のメロディーは、ルソーが作曲したものであるとされています。
ということでいろんな才能があった人でした。が、ここでは彼の社会契約論を見ていきたいと思います。これもまた前回のデカルトと同じように、欧米の現代社会の基本になっている考え方です。
●社会契約論は国王の権威を絶対視する王権神授説に代わる考え方
社会契約論は、実はルソーだけの考えではありません。ここに表がありますが、有名な人を並べただけでも、ルソーより200年以上前のイギリスの哲学者であるホッブズや同じくイギリスのジョン・ロック、それ以外にも多数の人が社会契約論を唱えていました。
簡単に歴史的な背景をお話しすれば次のようになります。それ以前の社会は国王がおり、その国王に全ての人が支えていました。その国王の権利や権力は、その家系が、神から受け継いだと見なされていました。いわゆる王権神授説という考えがこの社会のベースでした。ところがそのように考えると、結局国王の権力や権威を絶対的に認めるしかないことになります。
17世紀から18世紀というのは、ヨーロッパの経済が非常に盛んになった時代でした。その時代に、いわゆるブルジョワの人々が力を持っていきます。それにより、例えば遠くの国と貿易をした利益で富を築いたり、工場や銀行を経営したりする実業家の人々が力を持っていきます。
実業家の人々は、自分のリスクを背負って富を築き、それによって人を雇って生活していきます。そうして自分で築いた富が、国王の気まぐれで取り上げられたり、場合によっては自分の命まで奪われてしまったりすることがあったのでは、モチベーションに支障が出ます。つまり、王権神授説でやっていくと、ブルジョワのモチベーションがどんどん下がっていって、結局、社会全体の沈滞につながってしまうのです。そこでこれに代わる考え方はないのかということで、出てきたのが社会契約論でした。
●自由を最大限保障するが、それだけでは危険な世界になる
したがって社会契約論においては、各人の自由が最大限に保障されます。この場合の自由とは、もちろん自分で働いて、それによって得られた財産を自由に使う権利です。あるいはそれ以前に、自分の身体や生命をむやみに人に脅かされないことが保障されるという意味での自由です。
もちろん、自由ばかりをむやみに主張すると逆に困ったことが起こります。つまり、私が自由を主張すれば私の隣人に危害が及ぶかもしれません。私が自分の欲しいものを欲しいと言って手に入れたものが、たまたま他人の持ち物であったとすれば、それは他人に対する危害となります。あるいは逆に、他の人が私の持ち物を狙ってくるかもしれない。つまり、自由が保障されただけの世界というのは、非常に危険な世界であり、それを何とかしなければいけません。
●自由の制限の代わりに政府に保護をしてもらう契約を結ぶ
つまり何でもかんでも自分の好きなようにやっていいのではなく、他人に危害を加えてはいけないのだから、各人の自由をある程度制限しなければならないということです。他人に危害を加えるような者が出てくれば、そのような者は制裁を受けます。政府、つまり警察や軍隊による保護がなされるわけです。
そうして、自分の自由を制限する代わりに政府に保護してもらうという契約を結ぶことになります。政府の権利、権力、権限は神によって与えられたのではなく、人々との契約によって与えられるということです。社会契約論の基本的な考え方の中でも、ホッブズ、ロック、ルソーの間では色々な違いがあるのですが、細かい話は残念ながら割愛して、今は特にルソーの場合はどうなっていたのかということについてお話しします。
●災いの原因は私有財産にあるため、全てを国家に委ねるべし
ルソーは、各人の自由がどうして出てくるのかと...