●為替の誕生と価格革命による通貨の変貌
前回は、非常に重要な通貨の変貌を遂げてきた軌跡についてお話ししてきましたが、もう少し細かく書いているものが、上の資料になります。前回見ていただいたものと、少しかぶる部分もありますが、そもそも古代メソポタミア辺りでは、重量単位として「シュケル」というものを採用しており、古代中国の殷では、貝殻などを通貨として使っていたということです。
そこから、先ほどお話ししたエレクトロン金貨がリディアで発行されるということになり、これが古代ギリシャにおいて硬貨として定着していきます。この時、主に銀貨が使われていたということがいわれていますが、傭兵への支払いとして、こういった硬貨が使われて、定着していくようになったということです。
その後、古代ローマやウマイヤ朝といったところもさまざまな通貨を発行するということになって、前回お話しした1023年、中国の宋で「交子」という、人類初の紙幣が発行されるということになりました。
その後、ヨーロッパサイドで非常に大きな動きが出てきます。15世紀に入ってくると、ヨーロッパを中心に貿易が非常に広がっていくことになり、どうしても銀や金、銅を持ち運ぶと、危なかったり、かさばったりして不便だということになったわけです。そこで、ベネチアの商人を中心に、為替手形が生まれてきます。
これが一つの流れとなって銀行業に発展していくわけですが、そのことが重要であるとともに、この為替手形を原型にしながら、スウェーデン、イギリスにおいて、銀行券というものが発行されていく流れになっていくことも重要な点です。
ですから、紙幣の発行も非常に重要ですが、実はこの手形が使われるようになったということも、非常に重要だといわれています。
また、この歴史の中で、そこまで重要ではないのですが面白いイベントとしては、1717年、近代科学の始祖といわれる、かの有名なアイザック・ニュートンが実はイギリスの造幣長官を務めています。その時に、金銀比率を1対15.21と定めているのですが、この定め方が欧州大陸と少し違っていたため、銀がどんどんどんどんイギリスから流出する、逆にいうと金が残るということになりました。その時、イギリスに金が残ったことが、その後イギリスが金本位制をつくりあげていく、一つの底流になったともいわれています。
言い漏れましたが、この間、新大陸としてアメリカ大陸の「発見」も非常に重要なイベントでして挙げることができます。これに伴って1545年、インカ時代に放棄されたポトシ銀山が、ヨーロッパ人によって再発見されます。ここで発掘された大量の銀が、スペインを通じてヨーロッパに流入することによって、超インフレ時代を迎えます。このことを「価格革命」と呼んでいますが、この価格革命によって、スペインの経済が弱っていき、ヨーロッパの旧態依然とした体質が変革されていくきっかけになったといわれています。
こういったところが、通貨に関わる歴史としては、面白いところではないかと思うわけです。
●大英帝国と金本位制の成立
こういった中、どちらかというと近代になりますが、国際通貨制度がどういう変貌を遂げてきたかについて、示しているのが上のスライドになります。まず1816年にイギリスがソブリン金貨を発行することによって、金本位制を採用します。
これは、ナポレオン戦争でイギリスが勝ったことが結構大きかったわけですが、その後、1871年に普仏戦争で勝利したドイツ(プロイセンがドイツ帝国に変貌を遂げるのですが)が金本位制を採用したことによって、初の国際通貨制度が成立したといわれています。
ただ、1914年の第1次世界大戦の勃発によって、金本位制から離脱ということになります。その後、両大戦間期においては、不安定な通貨制度ということになったわけですが、第2次世界大戦の後、1944年に金ドル本位制が成立するわけです。
要するに、第1次世界大戦前はイギリスのポンドが国際通貨制度の中心にあったわけですが、その立場を、イギリスに代わって世界第一の経済大国に躍り出たアメリカの通貨・ドルが乗っ取った格好になるわけです。
その後、1971年にアメリカの国際収支が悪化し、金ドル本位制が維持できなくなったことを受けて、ニクソンショックとなりました。すなわち、金ドル交換停止が行われるということです。
実はこうやって見ていただくと、過去の国際通貨制度は、大体30年から50年ぐらいの期間を置いて、何らかの変貌を遂げてきたことがお分かりいただけるかと思います。こういった中、1971年のニクソンショック、それに伴う事実上の米ドル本位制の発足から、約40年たったところで起こっ...