●ヤップ島で一番のお金持ちは、石貨を海に落とした
次にお話ししたいのは、通貨が持っている故事のようなものです。1つの面白い事例としては、ヤップ島の石貨文化というものがあります。実はジョン・メイナード・ケインズ(イギリスの経済学者)やミルトン・フリードマン(アメリカの経済学者)も、このヤップ島の話をしており、通貨の研究者の間では非常に有名な話です。
ヤップ島の話とはどういうものかというと、ヤップ島で「フェイ」と呼ばれる石貨が流通していたという話です。ヤップ島は、今でいうミクロネシア連邦のヤップ州にあるわけですが、フェイは、500キロほど離れたパラオで採掘されて、船で運ばれてきました。パラオで採掘されたフェイに、自分の名前を書きつけ、お金として使い、持ち主が変わると名前を書き換えていくというものでした。
ところが、村一番の金持ちは、途方もなく大きいフェイを持つといわれていたのですが、実はその大きなフェイは存在していません。なぜかというと、この村一番の金持ちのご先祖様が、パラオで非常に大きな石を切り出して、ヤップ島に運んで帰る途中に嵐に遭い、命からがら帰ってくるわけですが、途中でその石を海に捨ててしまったというのです。ただ、海に捨てる前に、ちゃんと必要な細工を、その大きなフェイにしたと証言しました。
島の人たちは、それならば確かにその石を持っているということで、「あなたは今、ここには持ってないけど、海の中に持っているということにして、その分、使っていいですよ」ということになり、途方もない金持ちになったというのです。この金持ちは、海の中に沈んでいるフェイを人前では見せられませんから、使うときには、「その一部分は誰々に渡った」と書き残していったのです。
この話は、前回お話しした金本位制の時、ニューヨーク連銀で担当者が、フランスやスイスなどが所有している金に対して、イヤーマークを付け替えていったことに非常によく似ています。また、バーンスタインが言った「この金塊がハドソン川の海に沈んでも、その書き換えさえ行われれば大丈夫だった」という話にも非常によく似ていると思います。つまり、こういったヤップ島の話は、通貨の世界において非常に興味深く語られていることです。
●西南戦争の際、西郷軍は西郷札を発行していた
もう1つ面白い事例として挙げたいのは、2018年のNHK大河ドラマで『西郷どん』をやっていますが、実はその西郷さんがお札を発行したことがあるということです。西郷さんは西南戦争で結局負けてしまうのですが、そんな中でお札を発行したことがあるというのです。
西郷さんが発行したお札のことを扱った本を書いたのは、推理小説家の松本清張です。実は松本清張の処女作こそが『西郷札』という本なのです。
西南戦争を始めた西郷さんは、田原坂の戦いで負けてしまいますが、万事休す、お金がなくなってしまうという時、今でいう宮崎県に、このお札を発行する造幣所をつくり、桐野利秋さんという人を造幣局長にして、いわゆる軍票を発行するわけです。
ところが、どうも薩摩軍(西郷軍)は負けそうだということで、その軍票は信用がなく、なかなか食料や弾薬などを売ってくれません。そこをなんとか売ってくれないかということで、薩摩軍(西郷軍)は無理やり軍票を商人や農家の人に押し付けて、食料や弾薬などに換えていったということです。
そして、最後にはどういうことをやったかというと、薩摩軍(西郷軍)の人たちは非常に巨額な西郷札を渡して、少しの食料と弾薬を買い、お釣りを明治政府が発行している太政官札で返せ、というようなことをどうもやっていたらしいのです。
本当にこういった話があったのかどうかは、私も知らないのですが、松本清張いわく東京曙新聞が伝えた逸話としては、借金をしていた城ヶ崎の芸妓さんが、西郷札で返済しようとしたら、貸主はその西郷札の受け取りを拒んだということです。その時、芸妓さんは、「あなた、そんなことが桐野さんに知られましたら、人切り包丁の御馳走がまいりましょう」と言って、すごんだそうです。すると、貸主は止むに止まれず、その西郷札を受け取ったという、そんな話があったということです。造幣局長をやった桐野さんは、幕末・明治維新の時は「人斬り半次郎」として名が知られていた人なので、こういった話もあるということです。
これは何を意味しているかというと、明治政府が発行した太政官札も、もともと信用がなかったのです。ですが、やはり明治政府の基盤が固まるにつれて、次第に太政官札の信用力が上がっていくということになり、逆に太政官札の偽札も出回るようになっていったということです。
西南...