●ディオクレティアヌスは4人の皇帝の中でリーダーシップを発揮した
しかし、どのような時代でもそうですけれども、新しい改革をするからといって、なかなかそれが地に着いたものになるわけではありません。そういう一連の中で、四分治制に代表されるような皇帝で分割をするという中で、団結力が非常に見事であったということでしょうか。4人も皇帝がいると、当然いろいろな意見が出てきます。
しかし、やはりディオクレティアヌスの圧倒的なリーダーシップといいましょうか、他の皇帝たちにとって、彼がいるから、われわれがあるのだというリーダーシップの見事さ、あるいは団結力、まとまりの良さというところがあって、この体制そのものはうまくいくわけです。
実際に正帝が2人いますけれども、彼の戦友だったマクシミアヌスという人は、自分の戦友であり、部下であったわけです。彼をもう一人の正帝に据えました。ただ、マクシミアヌスは同じ正帝でありながら、最後までディオクレティアヌスに、非常に忠実であったということもあって、この体制そのものはうまくいくことになりました。
●財政支出を増やしたディオクレティアヌスの改革
その他にも軍事力を倍増しました。軍人皇帝時代で非常に混乱していましたので、やはり軍事力をきちんとしておかないとまとまらないということです。しかし、そうすると結局、財政負担が増えてくるということが目に見えているわけですね。
それで、いろんな形で彼は属州を細分化したり、官僚制を整備したりしますが、ローマ帝国というのは基本的にはチープガバメントなのです。帝政後期になると、国家から派遣される役人の数も多くなってしまいますけれども、基本的にローカルな単位で地元の有力者たちをうまく取り込んで、彼らを中に入り込ませる形で、国家の税金の支出というものを極力抑えているのです。
ローマの一番華やかだった帝政初期の段階では、推定ですけれども、国家の役人は300人ぐらいしかいなかったのではないかと言われているぐらい、非常に、いわゆるチープガバメントでやっていた。軍隊は別でものすごい負担ですが、大体前近代では別にローマに限らず、国家予算の3分の2は軍事費でした。
そういう中で、ディオクレティアヌスは四分治制を採ったわけですが、属州に関しては、そのことによって4つに分かれるため、その中の属州もまた細分化し...