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「ローマ帝国の危機」の時代に現れた偉大な皇帝

四分治制時代のローマ史(1)ディオクレティアヌス再評価

本村凌二
東京大学名誉教授
情報・テキスト
4人の皇帝の彫像
(サン・マルコ寺院の入口)
「ローマ帝国の危機」といわれた3世紀に現れたのが、ディオクレティアヌスという皇帝である。彼はこれまであまり評価されてこなかったが、四分治制(テトラルキア)などの改革を行った偉大な皇帝なのだ、と本村凌二氏は力説する。ではなぜこれまで評価されなかったのか。(全6話中第1話)
時間:11:46
収録日:2019/02/26
追加日:2019/09/07
タグ:
≪全文≫

●ディオクレティアヌスが四分治制を始めた


 「ローマ帝国の非常に大きな危機だ」といわれた3世紀という時代ですが、半世紀の間に正規のローマ皇帝は26~27人いました。正規ではない、すなわち元老院で公認されていない皇帝を含めると70人ぐらいが50年の間に出てきて乱立した、大変に混乱した時代でした。

 それを克服したのが、284年に即位したディオクレティアヌスという皇帝なのです。私は2017年にちょうどヴェネツィアへ行きました。ヴェネツィアにはサン・マルコという寺院があります。そこのほんとに目立たないところの一角にこの写真にあるような彫像があるのです。

 そして、これは実はローマ史に詳しい人にとって非常に重要な彫像です。ディオクレティアヌスという皇帝が出てきた時、さまざまな改革をしていく中でローマ帝国があまりにも大きくなり過ぎたので、1人の皇帝で治めることはできないということになりました。

 そこで彼は、テトラルキア、四(よん)分治制、あるいは四(し)分治制といっていいのですが、4人の皇帝、すなわち正帝が2人で副帝が2人という4人の皇帝で分割して次の時代に備えるという形を取りました。4分割するのにはそういった地域的な広がりがあることと、次の後継者を指名しておけば混乱が起こらないということで、正帝が亡くなった場合には副帝がそれを継ぐということです。ディオクレティアヌスはそういったさまざまな意味での改革を行ったわけです。


●ディオクレティアヌスの彫像がガイドブックにも載っていない理由


 その時の4人の皇帝の彫像だというのがこのサン・マルコ広場の入口の所にあるのですが、目立たず、観光客はほとんど注目しません。ヴェネツィアの中でもサン・マルコ広場の中のサン・マルコ寺院の入り口の所ですから、本当はすごく目立つ所にあるのに、ほとんど誰も注目しないのですし、ガイドブックにも載ってなかったりします。

 ただ、やはりイタリア人やイタリアに詳しい人にとっては、かの四分治制を採ったディオクレティアヌスの彫像ということで、『Journal of Late Antiquity』という本の表紙にそれが使われています。この彫像が現在までサン・マルコ広場にポツンと置かれているというのは、実は前回のシリーズでお話ししたように、ディオクレティアヌスがキリスト教徒を迫害したからなのです。

 それで、私自身は大変偉大な皇帝だと思っているのですけれども、欧米の人たちにとって、キリスト教を迫害するというのは何たることだというので、非常に悪帝、あるいは、どうしようもない皇帝といった見方がされているのです。


●コンスタンティノープルでディオクレティアヌスの像が発見された


 実際にディオクレティアヌスの後から登場するコンスタンティヌスがキリスト教を公認しますので、それに比べてディオクレティアヌスはキリスト教徒を最後に迫害した皇帝として、そういう烙印を押されてしまうわけです。

 後でコンスタンティヌスの話はしますけれども、私自身は彼をコンスタンティヌスに勝るとも劣らないぐらい偉大な皇帝だと考えています。つまり、あの50年の内乱期を収束させて、新しい体制をつくりました。その後の体制というのは結局、ディオクレティアヌスの路線をそれなりに改革していくという形で始まるわけです。

 ところが、彼が結果的にはキリスト教徒を迫害したために、そういう欧米の人たちの間では何となくうさんくさい、あるいはねたましい人物となるわけです。この彫像も実はディオクレティアヌスだと分かっていれば残っていなかったのです。つまり、悪帝というか、キリスト教徒を迫害した大変な皇帝なのに、ディオクレティアヌスだと分かっていなかったですし、この彫像は実はもともとはコンスタンティノープルにあったのです。

 それで第4回十字軍の時にヴェネツィアが主導権を握って、結局その後何十年もの間、ヴェネツィアがコンスタンティノープルを事実上、支配していました。十字軍の本来の趣旨からいけば全然違った結果になったのです。


●今ではテトラルキアを象徴する彫像として残っている


 ただ、その頃の中世のヴェネツィアは、非常に経済力もあり豊かでした。そんなヴェネツィアにコンスタンティノープルが支配されている時、ヴェネツィア人もその彫像は大したことはないと考えていたし、ディオクレティアヌスであるとは分かっていなかった。それで、ヴェネツィアまで持ってきて、サン・マルコ広場に置いたのですが、置いたのは入口の柱の外側でした。

 その彫像は今でも雨ざらしになっています。最初の段階できちんと保護していれば、もう少し違っていたでしょうけれども、いまだに雨風にさらされているような場所にあります。

 いずれにしても、そういった4人の皇帝が登場して、それを記念して彫像が作られたと...
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