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ローマ帝国で鮮明になっていった絶対的な皇帝の権力

四分治制時代のローマ史(3)絶対的な君主としての皇帝へ

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
ローマにおいて、これまで皇帝の権力の源泉はあくまでも元老院にあった。しかし、この時代にはローマの拡大とともに皇帝の権力は絶対君主制的になっていった。ただし、ディオクレティアヌスはキリスト教を迫害したために、後にキリスト教が主流になってからあまり評価されてこなかった、と本村氏は語る。(全6話中第3話)
時間:06:28
収録日:2019/02/26
追加日:2019/09/21
≪全文≫

●皇帝の権力の源泉は共和制にあった


 ディオクレティアヌスは、何よりも国民の意識を改革するということで、皇帝に対する忠誠心といいますか、皇帝の権力を強化するためには皇帝の絶対性というものを非常に強調しました。

 つまり、われわれがローマ皇帝と聞くと絶対的な権力だと思ってしまいますが、結局それは元老院が公認したものであるということです。

 ですから、ローマ国民の意思の下に選挙できちんと選ばれているわけではないわけです。後継者として任命された人を最終的には元老院が認めるという形で成り立っているわけです。

 それから、何度も繰り返しお話ししましたように、ローマは共和制という伝統を500年にわたって続けてきました。共和制という500年の伝統の中から元首、プリンケプスというものが出てきたわけです。そういう中にあって、皇帝とはあくまでもローマ市民の筆頭に当たる人、第一人者なのだという考え方です。ローマ市民がいる中に非常に突出して上に君臨するという、そういう存在ではなかったのです。


●皇帝に絶対的な権力が付与されるようになっていった


 しかし、長い間に混乱期、昏迷期、そして危機の時代を迎える中で、共和制的な伝統というものが次第に失われてくるわけですね。そうした中、絶対的な君主としてのローマ皇帝というものが、特にディオクレティアヌスの時代に非常に鮮明になってきます。つまり、そういう形で、君主の権威、あるいは皇帝の宗教的な権威というものを高めるわけです。

 「皇帝というのは結局、神から授かっているものだ」というのは、オリエントでは古くからあった考え方ですが、ローマやギリシャでは、やはり出発点は市民で、市民の自由というものを非常に大事にしてきたところですから、1人の人間が突出して偉いという考え方はしないわけです。

 しかし、そうした中にあってディオクレティアヌスの時代になると、オリエント的な絶対君主という考え方が鮮明になります。つまり、ローマ帝国がだんだんと広がっていく中、これを治めていくのにはそういう人が君臨しなければならないというのが一つの新しい愛国心の在り方として芽生えてきたのがこの時代であるということです。そのように、歴史が語られるわけです。


●ディオクレティアヌスは反キリスト教であったため評価されてこなかった


 先ほどから言っているように、キリスト教徒を迫害しているがゆえに、彼はやはりいろいろな形で後の時代から悪く評価されてきました。同時代の人たちはそれなりの敬意を持っているわけですけれども、例えばこういうことがありました。

 ゾシモスという、これは5世紀から6世紀の歴史家といいますか、著作家がいて、ローマ皇帝の伝記を書きました。彼はキリスト教徒ではなくて、ある意味では非常に公平な立場で書いていますが、ゾシモスのディオクレティアヌス伝がないのです。

 すなわち、後の人たちから見ればディオクレティアヌスはキリスト教徒を迫害したのだといって、ゾシモスのような公平な立場で書いているものを抜き取ってしまうということがありました。残念ながら、アウグストゥスから410年に至る歴史叙述がなされているにもかかわらず、ディオクレティアヌスの箇所が欠如しているのです。

 歴史というのはやはり勝った方が自分に都合のいい方に作っていくという点は、日本の明治維新のことを考えてもその通りで、長州や薩摩が勝って、そういう立場から後にその時代を振り返るということが行われました。

 それと同じように、キリスト教が勝利を収めた時には反キリストの立場といったものが次々と抜き取られたり、あるいは改ざんされたりしていくことになるわけです。
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