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軍人皇帝時代に終止符を打ったディオクレティアヌス

軍人皇帝時代のローマ史(5)ディオクレティアヌスの改革

本村凌二
東京大学名誉教授/博士(文学)
情報・テキスト
ディオクレティアヌス
乱脈極まる軍人皇帝時代の終止符は、284年に打たれる。徹底的なローマ帝国の再建に向け、新皇帝ディオクレティアヌスによる改革は「聖域なき」ものであったようだ。第5回では、ローマ3世紀の危機脱出に向かうディオクレティアヌスについて語られる。(全6話中第5話)
時間:09:58
収録日:2018/08/29
追加日:2019/01/31
タグ:
≪全文≫

●軍人皇帝時代に終止符を打ったディオクレティアヌス


 ディオクレティアヌスは、50年間続いた軍人皇帝時代に終止符を打った、大変な立役者です。その彼が、おそらくカリヌスを殺したのではないか。直接に手を下さなくても、そのように仕向けたのではないかといわれています。彼はそういうことの非常に巧みな人物だったらしいのです。

 ディオクレティアヌスは皇帝になると、まず共治帝を立てました。2人の正帝と2人の副帝をつくり、合計4人による統治です。

 それまでの軍人皇帝の時代は、皇帝の後継者が不明瞭でした。ただ、ウァレリアヌスとカリヌスのように2人皇帝が立ち、息子のほうが後継者として皇帝位を継ぐ例はありました。そこで、息子でなくても同様に、つまり正帝と副帝というシステムでやっておけば、誰が次の皇帝になるかは明確です。そのように2人の正帝と2人の副帝と合わせた4人の皇帝による統治を「テトラルキア(四分治制)」といいます。このような改革から、まずスタートを切ります。


●小さな政府の徴税改革


 次に、インフレ状態への方策です。当時は兵士の給料に充てるため、どんどん貨幣を発行しては支払わなければならず、さらに戦費もかさみました。それらに対して貨幣の質を落として対処するため、次第にインフレーションが進んでいくようになっていました。そうなると、貨幣に一定の価値がなくなり、劣化・悪質化が進みます。そこで、財政改革をする必要があると彼は判断したのです。

 そこで、ディオクレティアヌスは徴税システムを刷新します。この徴税請負人の例が典型的に示すように、ローマは基本的にチープ・ガバメントでした。ローマ帝国というと、事務を司る巨大な官僚軍団がいたように想像されがちですが、そうではなかったのです。軍人はたくさんいますが、管理システムは非常に簡略なものでした。

 属州の要所要所にはローマの役人が派遣されるので、属州総督などはローマから派遣された役人でした。しかし、それぞれの総督が管理する個々の事務官は必ずしもローマの正規の役人ではなく、今でいう現地採用組が多かった。だから、国家管理としては非常に簡素なシステムであるわけです。

 ローマは、軍団を維持するために莫大な戦費や軍人の給料が必要だったけれども、事務軍団にはそれほどお金がかからなかったということです。しかし全体として貨幣が悪化していったためにインフレーションがどんどん進んでいったので、貨幣の改革は急務でした。

 また、当時のローマの役人は、基本的に軍人でありながら政治家や役人を務めていました。これは、日本の武士階級と同じです。ところが、ディオクレティアヌスは、軍人と役人の間に線引きをします。軍人は軍人として専業化させ、役人(官僚)団とは分ける。ローマから派遣される官僚は簡素でしたが、管理システムそのものに、大きな改良を加えました。

 徴税システムについては、「カピタティオ・ユガティオ」と名付けた人頭税を取り入れます。人数に応じて税金を課するシステムを、明確に打ち出していったのです。


●オリエントにならい皇帝の権威を高める


 ディオクレティアヌスは、50年も続いた軍人皇帝時代に嫌気がさしていたので、徹底的な立て直しを行います。そのためにテトラルキア(四分治制)を立て、ローマ帝国の再建に乗り出していったわけです。

 彼の考えは、当時のローマ人に欠如しているものに向かっていたようです。そして、結局「忠誠心」が失われていると気づき、そのためにローマ皇帝の権威を高める方向を目指していきました。

 とはいえローマ人はもともと共和制ですから、そもそも皇帝など置かないのが原則です。貴族と民衆がありはしても、その間にできるだけ階級差が目立たないようにする配慮もありました。より高いものがより権威を持つことは、なるべく抑え気味にやってきたわけです。

 ところがディオクレティアヌスは、ローマ帝国がこれだけ大きくなった以上、何らかのかたちで権威を高め、そのことで3世紀の危機といわれる軍人皇帝時代の混乱を乗り切ろうと判断します。それで採用したのが、東方(オリエント)の方法です。

 オリエント世界では、エジプトのピラミッドの建設に見られるように、農民たちの労働力を農閑期には別のものに振り向けるシステムが取られていたのです。
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