●バルカン半島出身者が多かった軍人皇帝
アレクサンデル・セウェルスという、セウェルス帝の血脈につながる皇帝は、若くして殺されてしまいます。彼を殺したのがマクシミヌス・トラクス。非常に大男で、身長2メートル以上あったのではないかといわれる人物です。
彼はアレクサンデル・セウェルスを殺して自分が皇帝になると言い出しますが、元老院貴族から非常に疎んじられます。大男であること、ローマ・イタリアと縁のない貧しい家庭に生まれ、非常に粗野極まりない男であったことから、「あんな野蛮なやつが」とか、「あんな粗野なやつが」と嫌われたわけです。
ローマ皇帝というと、皆さんは当然ローマやイタリア出身の皇帝が多いだろうと思われるでしょう。前にも言ったように、正式なローマ皇帝は、元老院からその地位を認められる必要があり、そのような人がアウグストゥスから始まって77人を数えます。その中では、ローマ・イタリア出身の皇帝を押さえて、バルカン半島の出身者が一番多く、77人中24人がバルカン半島の出身者です。
なぜバルカン半島なのか。実は、バルカン半島出身皇帝の多くは、紀元3世紀のいわゆる「軍人皇帝」といわれる時代に集中しています。3世紀の軍人皇帝の時代にバルカン半島の出身者が多く皇帝として出てきたのには、軍事ラインの関係があります。
●自称を含め、50年で約70人の皇帝が乱立した時代
ローマ帝国の北方では、ゲルマン民族が国境の向こうから機をうかがっています。彼らに対処するため、ライン川・ドナウ川方面を北方戦線として、軍団を配置していました。また、東方にはパルティアという古くからの勢力がいます。ペルシャ・イラン系の人々ですが、当時はパルティアと呼ばれていました。彼らとも戦いを繰り広げます。
つまり、北方戦線ではゲルマン民族と、東方戦線ではパルティアと戦うために、常にそれらの方面に軍隊の多くを配属させることになりました。そのため、北方戦線や東方戦線で軍功を挙げ、軍事的な勝利を収めた軍人が軍団の中で声望を集めます。そのような者たちが皇帝に祭り上げられるという繰り返しがありました。その結果、77人のローマ全皇帝のうちの26人ほどが「正式」な軍人皇帝ということになります。
「正式」とわざわざ言ったのは、元老院によって公認されていない「正式でない」皇帝もいたからです。その中には、軍団から祭...