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カエサルにも匹敵するディオクレティアヌスの優れた資質

軍人皇帝時代のローマ史~ローマ史講座Ⅹ(6)ディオクレティアヌスの評価

本村凌二
東京大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
ディオクレティアヌス
ローマ皇帝といえば誰もがカエサルを思い浮かべる。しかし、その業績や時代背景、政敵への処し方を考えると、もっと優れた人物がいたのではないか。最終回では、ディオクレティアヌスの優れた資質について、また、彼に対する評価について解説する。(全6話中第6話)
時間:11:56
収録日:2018/08/29
追加日:2019/02/07
カテゴリー:
≪全文≫

●スッラ以来の「生前退位」の実践者として


 ディオクレティアヌスは20年間ローマを統治して、60歳ぐらいになった時に、とてつもないことを言い出します。自ら進んで皇帝を辞めるというのです。これは画期的なことで、ローマ皇帝の中で唯一自分から進んで辞めたのは彼だけです。

 半世紀にわたった軍人皇帝の大きな混乱期を収拾し、ローマ帝国の財政はじめ国家のあり方そのものをさまざまなかたちで改良していった彼が、です。60歳になった彼は、体調を崩したこともあったでしょうが辞める時に、もう一人の正帝にも退位を勧告します。「俺も辞めるから、おまえも辞めろ」と引きずりおろすようにして、二人の正帝がともどもに退位します。

 しかし彼は退位してすぐ亡くなったわけではなく、その後も12~13年ぐらい生きています。アドリア海のスプリト(現クロアチア、旧ユーゴスラビア)に引退し、今も別荘の一部が残っています。立派な別荘で彼は天寿を全うしたといわれています。

 当時はよほど次世代から慕われたり敬意を払われていないかぎり、退位したローマ皇帝は権力の座を降りた途端どんな目にあうか分かったものではなく、なかなか自ら進んで皇帝位を降りることはできませんでした。

 ローマ帝国になる以前には、スッラという見本がいました。紀元前80年代、グラックス兄弟の改革運動以来、ローマ人同士が相争う内乱の時代にあって、マリウス派を退け、スッラ派のリーダーになった人です。この人もやはり3年ほどで辞めてしまいます。ローマ皇帝の時代になる前は彼のような人がいましたが、それ以降自ら進んで辞めたのは、ディオクレティアヌスが唯一の存在です。


●カエサルに匹敵する精力・聡明さ・勇敢さ


 ディオクレティアヌスの潔さについては、他にもエピソード的に残されています。スプリトの別荘にこもり、農園で果樹栽培を行っていた彼が公式の会議に招待された時の話です。

 ディオクレティアヌスの退位した後ですから、また何人かの皇帝が正帝・副帝としているわけですが、どうも収拾がつかないことが多過ぎる。そこで、「ディオクレティアヌスさま、もう一度ローマ帝国の政治の舞台に出てきて、われわれを導いてほしい」と懇願されます。その時の彼の答えは、「私はキャベツの世話で忙しいから、ローマ帝国など構っていられない」と、きっぱり断ったのだそうです。

 この話の真否は分かりませんが、ディオクレティアヌスはそれほど秀でた人でした。あの50年の内乱を収めた後20年間君臨して、自ら305年ぐらいに退位するという、とてつもないことを行う。私から見れば、彼は恐らく、精力や聡明さ、勇敢さなどにおいて、例えばカエサルにも匹敵するような人物だと思います。

 それどころか、カエサルに比べればディオクレティアヌスの方が優れていた、と思わないでもありません。なぜなら、カエサルは天下を取って、5年後には暗殺されてしまいます。ルビコンを渡ったのがBC49年で、亡くなるのがBC44年ですから、実際に単独の支配者として君臨した期間は5年しかありません。その間の3~4年は反カエサル派の連中がしょっちゅうカエサル派に戦いを挑んでくるので、その戦いに忙殺されています。もちろん、その中であれだけの成果を挙げたとはいえましょう。


●キリスト教を迫害した最後のローマ皇帝として


 ディオクレティアヌスの場合は、20年間実際に皇帝位にあり、さまざまな改革を行っていきました。そんな中で自ら退位し、もう一度出馬してくれと言われた時にも、それをきっぱりと断る。潔い性格を持った非常に優れた皇帝だと思うのですが、なぜかヨーロッパの人たちからはあまり評判がよろしくありません。

 というのは、彼がキリスト教徒を迫害、抑圧した立場だったからです。キリスト教徒を抑圧・弾圧するというと、今のキリスト教徒からすれば、悪しき為政者であり、悪しき人物だということになります。しかし、当時のローマ帝国では、数え切れないほどさまざまな神々が信仰されていました。その中で、キリスト教のように「われわれの神が唯一の神で、他はみんな間違っている」という一神教的な考え方は、むしろ例外だったのです。

 つまり、当時の人々からすれば、キリスト教徒はむしろ無神論者と見えたわけです。自分たちの神だけを崇め、他の神々をすべて否定してしまうというのが、ローマ人には理解できませんでした。

 今でこそ、一神教といえばユダヤ教、キリスト教イスラム教というかたちで、われわれの中にイメージがつくられています。しかし、当時の人たちは、自然の中に神々がさまざまなかたちで存在するのが当たり前だと思っていました。それを否定するというのは神の存在を信じないということに通じるので、無神論者扱いになるわけです。

 それはディオクレティアヌスからすれば、ロ...
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