●スッラ以来の「生前退位」の実践者として
ディオクレティアヌスは20年間ローマを統治して、60歳ぐらいになった時に、とてつもないことを言い出します。自ら進んで皇帝を辞めるというのです。これは画期的なことで、ローマ皇帝の中で唯一自分から進んで辞めたのは彼だけです。
半世紀にわたった軍人皇帝の大きな混乱期を収拾し、ローマ帝国の財政はじめ国家のあり方そのものをさまざまなかたちで改良していった彼が、です。60歳になった彼は、体調を崩したこともあったでしょうが辞める時に、もう一人の正帝にも退位を勧告します。「俺も辞めるから、おまえも辞めろ」と引きずりおろすようにして、二人の正帝がともどもに退位します。
しかし彼は退位してすぐ亡くなったわけではなく、その後も12~13年ぐらい生きています。アドリア海のスプリト(現クロアチア、旧ユーゴスラビア)に引退し、今も別荘の一部が残っています。立派な別荘で彼は天寿を全うしたといわれています。
当時はよほど次世代から慕われたり敬意を払われていないかぎり、退位したローマ皇帝は権力の座を降りた途端どんな目にあうか分かったものではなく、なかなか自ら進んで皇帝位を降りることはできませんでした。
ローマ帝国になる以前には、スッラという見本がいました。紀元前80年代、グラックス兄弟の改革運動以来、ローマ人同士が相争う内乱の時代にあって、マリウス派を退け、スッラ派のリーダーになった人です。この人もやはり3年ほどで辞めてしまいます。ローマ皇帝の時代になる前は彼のような人がいましたが、それ以降自ら進んで辞めたのは、ディオクレティアヌスが唯一の存在です。
●カエサルに匹敵する精力・聡明さ・勇敢さ
ディオクレティアヌスの潔さについては、他にもエピソード的に残されています。スプリトの別荘にこもり、農園で果樹栽培を行っていた彼が公式の会議に招待された時の話です。
ディオクレティアヌスの退位した後ですから、また何人かの皇帝が正帝・副帝としているわけですが、どうも収拾がつかないことが多過ぎる。そこで、「ディオクレティアヌスさま、もう一度ローマ帝国の政治の舞台に出てきて、われわれを導いてほしい」と懇願されます。その時の彼の答えは、「私はキャベツの世話で忙しいから、ローマ帝国など構っていられない」と、きっぱり断ったのだそうです。
この話の真否は...