●溶岩流に資産が埋もれたら、回収することはもはや不可能
さて、次は溶岩流です。この写真は伊豆大島の1986年の噴火の様子なのですが、山頂部でマグマが噴き上がり、火口をマグマが全部埋め立てた後、溢れ出て、三原山の斜面を流れていきました。これには1200度ほどの温度がありました。火口付近には普通、人はいないので、溶岩流に飲み込まれて被害に遭うことはめったに起こりません。
しかし、場所によっては、こうした溶岩流の中に家が埋もれてしまったり、溶岩流の熱で、建物が燃え上がってしまうこともあります。また、森林地帯に溶岩流が流れると、その森林が完全に消滅してしまうこともあります。
溶岩の速度は大抵の場合は、人が歩く速度か、それ以下です。ですから、溶岩が追い付いてきて、犠牲になるということはほとんど考えなくてよく、命を守るために溶岩から逃げることはそれほど難しいことではありません。ただし、いったん、溶岩流の中に資産が埋もれてしまうと、それを回収することはおよそ不可能です。そのため、どのように溶岩流が流れてくるかということをきちんと知る必要があります。
●ハワイ・キラウエア火山の噴火で、溶岩流は街を飲み込んだ
ハワイにはキラウエア火山という非常に有名な火山がありますが、2018年5月にそこで噴火が起こりました。
上の図は地震の回数を示しているのですが、4月30日に急に地震が起き、住宅地の真下辺りで地震が活発化しました。そうすると、もうその3日後には左下の写真にあるように地面に割れ目ができ、そこから最初は水蒸気が出て、あっという間にマグマが噴き出しました。その後、同年の8月まで、溶岩流が流れ続けました。このように、溶岩流の噴火は、いつ始まるかを以前から予想できるわけではなく、ほんの数日前にしか分からないこともあります。
これがキラウエア火山の噴火の全体像です。左の方にHalemaumau(ハレマウマウ)クレーターと書いてあるところがあります。これは普段、観光客がいつも訪れる、カルデラの火口のあるところです。また、そこから20キロぐらい離れたところにPuuOo(プウオオ)と書いてあるところがあります。ここからは、1983年から35年間、1日も欠かすことなく溶岩流が流れ出ていた場所です。ハワイのキラウエアでは、このプウオオと山頂部だけが噴火している状態でした。それが2018年4月30日に群発地震が起こり、さらに20キロ以上東に離れた地域で地震が起こり始め、そこから溶岩が流れ始めるという事件が起こりました。この図でみると赤い模様のエリアなのですが、ここは住宅地なのです。
つまり最初に溶岩が噴き出したところからさらに20キロぐらい離れたところにあった、かなり大きな街をも、溶岩流で埋めてしまいました。20世紀の半ばに起こった噴火では、この部分のみ溶岩流が流れてこなかったので、安心な地域だと見なされてきました。それゆえ古い街がどんどん成長していきました。しかし今回の噴火で、このエリアも完全に埋もれてしまいました。右下に書いてある図の赤や紫が、今回の3カ月間で流れた溶岩流の範囲です。
その時の写真がこれです。古い街に溶岩流が流れてきて、海の中まで流れ込み、そこで水蒸気を上げている様子が分かります。この途中で住宅地を埋めてしまい、この写真の時点では手前の方に見えている住宅地も、その後、8月までのうちに完全に埋もれてしまいました。
この写真は、溶岩流が流れてくる前の居住地と後の居住時を示す、ビフォー・アフターです。左は居住地において噴火が起こる前の様子です。分かる通り、きれいに区画をされたところに住宅地が整備されていました。そこに溶岩流が流れてしまい、右のように溶岩流で全部埋まってしまいました。黒いところは全て溶岩流です。もちろん、埋まらずに助かった家もあるのですが、その境目が非常にシャープに分かれています。
日本でも同じようなことがありました。1983年に三宅島で噴火が起こった際、阿古という集落の小学校に溶岩流が流れ込んでしまったのです。写真はその現在の様子です。鉄骨が熱のために曲がってしまい、木材の部分は全て燃えてしまいました。