●寺田寅彦の解釈とつながる亡命ロシア人ワノフスキーの視点
鎌田 (寺田寅彦と)ちょうど同じ頃に、ロシア人のワノフスキーが日本に亡命してきました。彼はレーニンと一緒に革命の志士として活動していた人物です。その後、ソビエト体制になっていく過程で、彼は分派といいますか、対立し、やがて日本に亡命してきます。大正10(1921)年前後だったと思います。
そして日本に住み、早稲田大学でロシア語の先生をしながら生計を立てていきます。亡命者ですが、日本の『古事記』に非常に関心を持ち、『古事記』の研究をし始めます。
その後、『火山と太陽』という本に古事記解釈をまとめ、元々社という出版社から1955年に出版します。
―― これは先ほどの寺田寅彦の視点と非常に通じていますね。
鎌田 はい、寺田寅彦の考え方と非常に似ています。例えば、日本の物語は火か太陽か――同じ「ヒ」ですが、火と日という2つの「ヒ」の対決の物語――と見ています。Fire(火)がスサノヲで、Sun(日)がアマテラスです。アマテラスがスサノヲを鎮める、つまり太陽が火山をうまく鎮めるという構造になっているのです。
火山の神の系譜をたどるとイザナミ(スサノヲのお母さん)ですから、スサノヲも火山の神です。オオクニヌシも火山の神であり、息子のコトシロヌシ、タケミナカタも火山系の神です。サルタヒコや熊野の神々もみな火山系の神々で、やはり恐ろしい暴発する破壊的な力を持っています。世界は洪水にせよ何にせよ、ダイナミックで破壊的な力という、荒ぶる現象をもたらしますね。
一方で、それを恵みに変えていきます。イザナミに対して、夫のイザナギは火山を鎮めるほうです。スサノヲに対するアマテラスも、それを鎮めるほうです。コトシロヌシ、タケミナカタ、オオクニヌシに対し、国譲りを迫ったタケミカヅチ、フツヌシも火山を鎮める神です。サルタヒコに対して、天孫降臨したニニギ(ノミコト)や、その付き人であったアメノウズメは、それを鎮める側である。熊野の荒ぶる神に対して、神武天皇やタカクラジはそれを鎮める側です。
このように、火山の発動を体現する神々のキャラクターと、火山を鎮める神々のキャラクターとの2つの系統で捉えるのも、先ほどの寺田寅彦の解釈とつながって、非常に興味深い視点なのです。
―― そうですね。
鎌田 そういったワノフスキーの視点は、日本神話あるいは日本の風土の重要な特徴を解釈していると思います。私自身、このような自然主義的解釈あるいは自然学的解釈は、神話が形成されていく1つの過程として重要な視点であると思っています。
―― それは、身近な自然現象ということではやはり神話を聞く側の納得感が高いということでしょうか。
鎌田 眼の前に火山があるわけですから、リアリティがありますよね、火山によって被害も受けているけれど、火山灰が降り積もったりして、それは何年か後には豊かな土に変わったりするわけです。被害はもたらすけれども、その被害が最終的に恵みに転化することになるということです。
例えば地震が来て、津波が来る。津波がやって来たら壊滅的に家屋などが押し流されたりする。だけど海底がかき回されて、しばらくすると、プランクトンの繁殖などが前とは違うレベルで活性化していく。すると、次に豊漁がやってきたりする。
つまり、一時は飢饉のような状態で何も取れない、農作物も火山灰が降ったら傷んでしまうということがあるけれど、やがてそこが肥沃な大地になったり、豊漁の海になったりする。日本は非常に災害が多い国ですが、災害が多いことによって、日本は天壌無窮の伝説が意味を持ってくる国になったのです。
●寺田寅彦が唱えた「日本は吊り橋国」という意識を持つ重要性
鎌田 これを寺田寅彦はまた面白い言い方をしています。彼は昭和10(1935)年7月に、『中央公論』に「災害雑考」という災害についてのエッセイを書いています。『古事記』は、日本を「くらげなす漂える島」と言いました。くらげのように漂っている流動性のある島国ということです。そこに国が生まれてくるのですが、彼は、日本の国土全体が1つの吊り橋のような国なのだと言います。
日本列島が1つの吊り橋というのは、なかなか面白い比喩だと思います。だから、明日にも橋を吊っているロープが切れてしまうかもしれない。切れると落ちてしまう。そのようなリスキーな自然風土なのだということです。
「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったとされる彼が、日本は吊り橋国だと言っているのがとても興味深いし、こういう意識を常に持つことは、日本に住んでいる限り大事だと思います。