●わが国の神話は日本の風土に則ったもの
鎌田 少し話が横道に逸れて、生命の不老不死の起源の話になりましたが、話を元に戻します。寺田寅彦の「スカンジナヴィア神話と日本神話の間の対比」ですが、彼は日本のことをどう言っているか。寺田寅彦の「神話と地球物理学」の1節では、こう言っています。
「それで、わが国の神話伝説中にも、そういう目で見ると、いかにも日本の国土にふさわしいような自然現象が記述的あるいは象徴的に至るところにちりばめられているのを発見する。
まず第一に、この国が島国であることが神代史の第一ページにおいてすでにきわめて明瞭に表現されている。また、日本海海岸には目立たなくて太平洋岸に顕著な潮汐の現象を表象する記事もある。
島が生まれるという記事(国産み神話のこと)なども、地球物理学的に解釈すると、海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島が現れ、あるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させるものがある」
日本という島国ができていく地球科学的な生成の過程は、例えばプレートテクトニクスという理論によって、今は科学的にほぼ解明されています。そのような観点で神話の物語を見ていくと、火の神の物語とは火山の噴火であるとか、あるいは神々が日本という国を生んでいく物語は海底火山の隆起であるなどと解釈できる、と言っています。
そして、スサノヲ神話についてこう述べています。
「なかんずく速須佐之男命に関する記事の中には、火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い」
つまり、スサノヲ神話とは火山現象であるというのです。
―― なるほど。
鎌田 例えば、「その泣きたもうさま」について、『古事記』の中には小さいときからひげが胸先まで伸びるまで泣き叫んでいたという記述があるのですが、このように言うわけです。
「『その泣きたもうさまは、青山を枯山なす泣き枯らし、河海はことごとに泣き乾(ほ)しき』というのは、何より適切に噴火のために草木が枯死し、河海が降灰のために埋められることを連想させる。噴火を地神の慟哭と見るのは適切な譬喩であると言わなければなるまい」。
それから、スサノヲノミコトがアマテラスオオミカミに会いに行くときに周りに地響きがするといったことや、自分がウケヒに勝って乱暴狼藉を働いたときに田んぼの溝を埋めたり、大嘗殿に糞をしたりする記述があるのですが、これらを寺田寅彦は、「噴火による降砂降灰(降ってきた火山灰)の災害を暗示する」ようだとしている。
そして、スサノヲノミコトが天の斑馬を逆剥ぎに剥いで、血だらけになったその馬を、機織り女が機を織っているところに投げ入れ、驚いた機織り女が機織りの樋(針)でほとを突いて死ぬ。このあまりの痛ましさ、傍若無人にアマテラスが怒り悲しんで、天岩戸に押し籠もった――このような話になるわけですが、その投げ入れたさまを「火口から噴出された石塊が屋をうがって人を殺したということを暗示する」としています。
数年前に木曽御嶽山が突然噴火して、登山している人々が数十人亡くなるという悲劇がありました。これに近いことが実際にあったという解釈ですね。
―― 興味深い解釈ですね。
鎌田 日本の風土に則った解釈ということになります。
●日蝕でなく火山鳴動――真に迫った寺田寅彦の解釈
鎌田 そしてその後、「高天原がみな暗く、葦原中国がことごとく暗かったというのも、噴煙降灰による暗さである」としています。
これについては日蝕神話だという解釈もあります。日蝕になり、太陽と地球の間に月が入ることによって、太陽と月の大きさがほぼ同じであるために真っ暗になってしまい、周りの太陽フレアだけがわずかに見える。アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れたのは、そのような日蝕現象だというのが1つの神話解釈としてあるのですが、寺田寅彦は「それは少し違うだろう」と言います。
なぜ違うかというと、日蝕は短時間の暗黒状態でしかないからです。
―― 比較的すぐ明るくなってきますよね。
鎌田 これを見て、神々が鏡を作ったり、玉を作ったりして、いろいろと相談して方策を講じるということですが、その間にかなりいろんな災いが起こってきたりするということは、それほど短時間ではないだろうというわけです。短時間に神事を行う相談をし、お膳立てして、祭のパフォーマンスを行うことなど絶対にできない。神々の時間がどのようなものか、分かりませんけれど。
そこで寺田寅彦は、これは日蝕だと解釈するのではなく、火山鳴動の後、噴煙、降灰現象によって空に暗雲が漂って暗くなり、そのような状態が相当長い時間、...