●ポストモダニズムとネオ・リベラリズムによって霧散した日本人の自然観
ということで、続けてやっていきましょう。
日本人の自然観、それを先ほど(第7話で)申し上げましたが、自然観とだけいうと、宙に浮いている感じもしないではない。もっというと、日本人の自然観がどこかにあって、それを取り戻してくる。取り戻すという表現はしましたが、何か物があって、それを取り戻してくればいいのだという感じになってしまうので、そうではないのだということを最後に申し上げて、この講義を締めておこうかと思います。
幸福論です。それに向けて、私たちはその自然観を、まさに応用していく必要があるわけです。もっというと、日本人の自然がなぜ大事なのかというと、これは徳目ではないのです。私たちのプラグマティックな幸福のためには、どうしたってそれがいるだろうという話なのです。そういう意味で、日本人の流儀、それもまた幸福論と関係させながら、生き方論と関係させながら語る必要があるのではないかと思います。
さて、そういう意味でいうと、これは現代に少し戻ってこようかと思うのですが、まさにこの自然観、幸福論、あるいは、日本人の流儀、これが全部根こそぎなくなってきたのが、この30年あるいは40年だったのではないかと思わされるわけです。
少しだけ復習ということになりますが、1970年代から1980年代まで、高度経済成長とバブル期を経て、何が出てきたかというと、特に1980年代から1990年代ということになりますが、ポストモダニズムという思想とネオ・リベラリズムという思想が出てくるのです。
ポストモダニズムというのは、本当に簡単にいっておきましょう。進歩主義がなくなったということです。全て出来上がったので、つまり、高度経済成長で終わってしまったので、成熟社会になって、大きな物語、つまり、大きな目標がなくなりましたというのがポストモダニズムです。なので、あと物語があるとしたら、小さな物語だけだということです。なので、AさんがAと言い、BさんがBと言い、CさんがCと言う。それでいいのではないか、という話です。
なので、ある意味、相対主義に流れるのです。相対主義に流れたときに、そうはいったって、社会は動きますから、そのときに価値とは何という問いが出るのです。そこに差し込まれたの...