●自然をどのように見つけ出すのか
では、また続きをやっていきましょう。先ほど(第5話)は、D・H・ロレンスの『黙示録論』の中にある、日輪、コスモス、大地の結合ということを申し上げました。それはまさに、自然と結合することによって、私とあなたをつなげている自然を見いだすという話でもありました。この自然をどうやって私たちは見つけ出すのかということが、次の問題になるというのも申し上げましたが、まさにそれを福田恆存の人間論によって、今回は皆さんと一緒に確認しておきたいと思います。
題して〈福田恆存の人間論―「演戯」と「自然」〉と名付けました。演戯というと、芝居がかったとか、あるいは人工的な感じがありますが、福田の場合、面白いのは、この人工的に見いだされた演戯こそが自然を見いだすのだという話になることです。これが福田恆存の議論の中で非常に面白いところで、非常に近代的なニュアンスも持っているかと思いますので、皆さんにも分かっていただけるのではないかと思います。
●自然をつかむための芸術論への転回
改めて、福田恆存の人生から少し見ておきます。こういう流れで福田は思考をつなげていきました。
まず、昭和20年から24年あたりですが、これも先ほど(第5話)少し申し上げましたが、99匹、つまり集団的自我には還元できないような1匹、政治からこぼれ落ちるような個人的自我へと目を向けていったわけです。しかし、1匹は1匹で、あるいは、個人は個人だけで支えられるのかという問いが生まれてくる。その生まれてきた問いをずっとぐるぐる書いていたのが、初期の彼の文学論や作家論、近代論、政治と文学論争だったといっていいかと思います。
そして、まさに太宰治の死をきっかけとして、彼は転換していくわけです。そうすると、その転換の先にあったのが芸術論だったわけですが、昭和25年から28年、つまりは、1匹であるところの個人的自我の限界、それだけでは支えられないということを見定めた上で、1匹を支えているものとしての全体性、1匹を支えているものとしての自然へと転回していくのです。そして、その転回の中でその自然観、自然をつかむための芸術、そして、自然をつかむための演劇へと向かっていくことにもなります。
そして向かっていった先で、ロックフェラー財団の奨学金を得て、本当...